伊那春近領 その2 詳細


鎌倉幕府重臣深妙寺開基三位公日遊上人の支配下【伊那春近領】の城跡

伊那春近領内の城郭写真


名子城階段 飯島城跡 赤須城跡
名子城階段 飯島城跡 赤須城跡
船山飯島城跡 田子城跡 名子館
船山城跡(東側道路から) 田島城跡 名子館跡
  

赤須氏、飯島氏、田島氏(前沢氏)の城跡

赤須氏

  上・・・赤須城跡(南から)   下左・・・田島城跡(東に向いて)   下右・・・飯島城跡

伊那春近領内に赤須城(現在の駒ヶ根市下平)がありました。
この赤須氏も片桐氏から別れたもので、長春寺は赤須氏の氏寺として開山されたそうです。
飯島氏の城跡は西岸寺の南から天竜川にかけた河岸段丘に位置した地域になります。
西岸寺に「至鈍置文」と言う室町時代の古文書があり、伊那春近領が松川町にまで及んだことが記されています。
前沢城(田島城)は中川村の前沢川の南段丘上に位置しており森に囲まれています。
今も前沢氏により祭礼がこの城跡でなされているそうです。 現地を訪ねさせて戴いた折り、夢のあるお話を古老からお聞きすることができて感激しました。

    

片桐氏、名子氏の城跡

船山城跡 名子城趾 名子館跡
船山城跡・片桐氏 名子城趾の絵図 名子館跡

片桐氏のお城の跡で、伊那春近領の多くの地頭(小出氏を除く)はこの片桐氏から分派したと言われています。
船山城の名前の由来は、お城の地形がちょうど、船をひっくり返した形をしているからだそうです。
御射山神社は片桐氏との繋がりが強くその勢力のほどが伺えます。
名子城跡(城山)は伊那春近領の最南端にあります。
鎌倉幕府御家人政所重臣三位公池上弥次郎入道(常法院日遊上人)の権勢が名子城まで及んでいたことは驚異であります。三位公は僧侶であると同時に政治・行政に深く携わっていたことになります。
名子氏館跡は松川町長光寺の真西に当たり名子家が今も御先祖をお護りされています。

伊那春近領地図と春日城趾公園

春日城址 春日城址
春日城址

・伊那春近領内城跡の図(左)
・春日城趾公園(右2枚)
 伊那市の指定史跡として手入れが行き届いています
 春日城趾公園は鎌倉時代まで遡ると、小出工藤氏の城館であったといわれ、伊那の桜の
 名所としても広く人々に親しまれています。

ゆこゆこ信州・伊那のあじさい寺 
 「伊那春近領」の歴史は、伊那市教育委員会で編纂された「伊那春近領」の書籍に
詳しく掲載されています。中央政権である鎌倉幕府と伊那春近領が密接な関係にあっ
たことがわかっています。
 この伊那春近領の長官である池上彌二郎入道は、鎌倉幕府に伊那米を届ける役割
を果たされました。しかも日蓮宗の坊さんであじさい寺を日蓮宗に改宗されました。
 

伊那市 深妙寺
長野県伊那市西春近小出3160
TEL・FAX 0265-72-5070


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