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人と人<2006.12.30> ミクシィに日記を書き始めてから、すっかりこちらのホームページの更新がおろそかになりました。このコラムは、もともと、自分の文章修行の場でもあるので、結構時間をかけて書いています。そうしようと思っているとなかなか更新できないという結果に。一方ミクシィは、まさにつれづれなる日記と思ってしまうので、思い立ったときに、ちょっと書いて更新しています。どちらがいいとも言えませんが、結果、自分のホームページが更新できないことになっています。 本の紹介サイトも同じ。表紙が入るし、作者名などを自分で書き込まなくてもいいので、ついついそちらを優先して、このホームページは古いままに。これがインターネット世界の進歩というものでしょうか。このホームページを作ったときは、ブログも本屋サイトもSNSもなかったのですから。 なぜみんなブログを書くのか、という論をときどきみかけます。いろいろな視点があると思うのですが、ひとつには自分の存在をまわりに認めてほしくて、「自分はここにいるよ」「私はこんなことができる(している)の」と訴えているものも多いのではないでしょうか。実際、普通の人のブログが人気を博して本になったり作品が認められたりしているのですから、埋もれた才能の発表の場としては、まさに無限の可能性があるような気もします。私にとってのホームページは、どちらかといえば自己満足の世界ですが、それでも「私はこう感じている」ということをうまく人に伝えられたらいいなと考え続けています。 基本的に誰でもが見られるホームページには常に他者が存在します。人と人との関係がうまく築けないといわれる社会ですが、他者と関わりたいと思ってネット社会に関わっている人が多いということでしょう。でも、それがさらに生身の人との関わり方を下手にしているという、へんな悪循環もできつつあるのかもしれません。 今年一年、人と人との関わり方の難しさを感じた年でもありました。人と人とのかかわりの中にこそ、喜びもあることをあらためて知りました。これから成長する子どもたちが大人になるころの社会が、人と人とのつながりが深く、お互いに思いやりのある社会であってほしいと願わずにはいられません。ネットの社会もそんな社会になってほしいと思っています。みなさん、よいお年を。<encha> |
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あたらしもの好き<2006.10.28> 9月にミクシィに参加するようになりました。「ミクシィ」とは、会員制のブログ(簡易日記ホームページ)集団とでもいえばいいのかな。友人の紹介がなければ、その仲に入れないので、誰でもが参加できるホームページ、ブログよりは、相手の顔がみえやすく、安全・安心・正確な情報というものです。このミクシィを運営している会社が上場して話題となったのにあわせ、知り合いのつてを頼って、会員登録(無料)したのです。 http://mixi.jp/ やってみてどうか、というと、やはり自分の興味がある分野を検索して、共通の話題で盛り上がれるのは、とても楽しい。身近に同じ興味の人がいれば、それに越したことはないけれど、ネットなら、全国の同じ趣味の人があっという間に集まれるというわけです。これは、ネットならではの良さでしょう。その上、今までのブログより安心感があるので、書き込みするのにも以前よりは不安感がないです。といっても、全く安全というわけではなく、「なりすまし」でいくらでも悪いこともできるかもしれません。まあ、それを言い出したらネットの社会では何もかも安全ではないということになります。 もう一つ、子どもにせがまれて「メイプルストーリー」という通信ゲームの会員にもなりました。 http://maplestory.nexon.co.jp/ 通信ゲームは、その会員登録の入り口は無料ですが、戦っているうちにいろいろな戦闘用具がほしくなり、それを手に入れるためのネット上のお金が必要になります。実際にお金をやりとり(カード決済)して売買するサイトもあり、いつの間にか高額な遊びになりそうな気がして「危ないもの」という感じがぬぐえません。でも、どんなしくみかを知るには一度やってみなくてはわからない、とはじめてみました。子どもはあっという間にゲームに夢中ですが、今のところ、時間制限にて、ボチボチ遊んでいます。 ネット社会のスピードは速く、いろいろなサービスがでるので興味がつきません。あたらしもの好きの自分は、一度はやってみたいと思ってします。「はまる」のも怖ければ、なにかトラブルに巻き込まれるのも怖いです。子どもにはそういう危険性があることも教えながら、なんとかネット社会も自分の判断で生きていけるように教えられたらいいなと思っています。 ミクシィの仲間になりたい方は、ぜひご一報を。私はミクシィ上にまだまだ友だちが少ないので、これを読んでくださっている友人・知人の皆様、ぜひぜひ一緒にやりましょう。<encha> |
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雑誌作りとフリーペーパー<2006.9.13> 約2年勤めた出版社を退職しました。パートとはいえ編集の仕事ができるというのは、自分にとっては長年の夢。以前に企業の社内報を作っていたことはあったものの、きちんとした有料の情報誌というのはあこがれでもありました。実際に仕事をしてみて「理想と現実のギャップ」というものはあったものの、やはり「雑誌を作る喜び」も味わえてよかったと思います。 仕事をやめる時期とフリーペーパーの全盛時代が重なったというのは、時代の流れを感じないわけにはいきません。インターネットもフリーペーパーも読者にすればタダで手に入る情報源。わざわざお金を払って買いたい情報誌ってなんだろうと考えざるを得ません。自分が読者であったら何を求めるか。仮に求めるものがわかっても、それを事業として採算がとれるようには、作る術がわかりません。ほとんどの情報誌が広告収入で作られているもので、広告主の意向なしではページが作れなくなります。(テレビのスポンサーを考えてもらっても、大手雑誌の広告ページの多さをみても、現実がわかると思います。)しかし、それでも広告主がその雑誌に期待している「広告効果」を得られたと判断してもらえればよいのですが、インターネットのクリック広告のように、みた人のカウントができるわけでもなく、購入者数とその反応だけでは、ものすごく数が少なくなるのが当然です。そうすると、配布数でまさるフリーペーパーに勝てるはずがありません。 しかし、読者としてフリーペーパーの情報だけでいいのかと問わずにもいられません。読み捨てられる情報と、広告とタイアップした企画記事をいくら読んでも、満足感は少ないのに。本当に必要な価値ある情報をコツコツと掲載してくれる情報誌が、事業として成り立っていく世の中になってほしいと思わざるを得ません。でもこうした価値ある情報ほど、インターネットで手に入れる時代になりつつあります。フリーペーパーも安泰ではないでしょう。それでも、ネット社会になったときに、誰が「情報の正しさ」を保証してくれるのでしょうか。 転職先として、今までとは違い公立学校の図書館司書として仕事をはじめました。本好きが高じての選択ですが、勤務形態のとまどいや仕事の範囲など手探りでいろいろ感じている最中です。本の読み聞かせ記録は別のページで徐々に書きたいと思っています。<encha> |
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ラジオ体操の幻想<2006.8.10> 子どもと一緒に夏休みを過ごしています。今の小学生の日課は、朝6:30ラジオ体操、午後12:30集合の学校プールが主なもの。これがお盆前の12日間続く。でも土日は休み。この「土日休み」について「ラジオ体操は土日かかわらずすればいい」といった新聞のコラムがたびたびありました。ラジオ体操は地区行事として保護者が当番で1人から複数人、出なければならない。だから土日ぐらいは保護者も休みたいという想いから、今のような形になったのではないでしょうか。土日に家族で出かけることも多く、開催しても集まらないかもしれないという事情もあるでしょう。 この件で「休まずやれ」とコラムを書くのは恐らく父親である男性。そして、ラジオ体操につきそうのは母親です。この論争は、多分言うだけで子育てに参加しない(できない)男性の理想論と、「早起きの習慣づけのためにもやればいい」とは思っていても、実際に付き添い続けるのは大変だと感じている母親の間で、平行線をたどっていると思われます。 しばしば、父親は子どもに理想を押し付ける。「夏は毎日プールに行け」「虫捕りにはげめ」「山に行け、川に行け」「宿題なんか、俺は夏休みの最後の日にした」(と、自慢する)。同じような記憶がある母親も、子どもは自由にのびのびと過ごさせてあげたいと思うものの、最後に宿題の面倒をみるのは、母親である現実。安全上、子どもだけでは遠出もさせられなければ、川へも行かせられない。 今の子どもは過保護なのでしょうか。昔の親のほうが放任だったような気がする。でも、放任していても地域や世間の暗黙の制約のなかで、子どもは、はめをはずしすぎない自由を満喫していた。今は空気に子どもが感じるいい意味での制約と、タダで手に入っていた安全がない。今はお金もゲームもある。外には安全という確信がない。放任は、放棄に近い。それが嫌な母親は子どもに1対1で保護というフィルターをかけた上で遊ばせるしかない。それに疲れるから土日休みが必要なのだ。でもそういう空気を父親は感じることがない。だって、子どもと接する時間はものすごく少なく、父親が子どもと接するときは、日常ではなくイベントになる。父親にとっては1日、2日で終わりがくる思い出作りでしかない。基準が自分の子どもの頃の、いいとこ取りの記憶だけだから理想を言えるのではないかと思うのです。<encha> |
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長野県と大阪<2006.6.7> GWの大阪行き、私は大阪に行くのが初めてです。この地からどう行くかもよくわかっていませんでした。そもそも、今年の初めに旅行に行きたいと言い出した娘は「飛行機に乗りたい」が第一希望。ここからだと松本空港か中部国際空港に行かなければならない。車の運転が嫌いな我が家では、松本空港からどこかへ行かれないかと考えてみた。松本空港からの便で観光地といえば札幌・長崎・大阪。しかし、春休みの計画を立てようと思った時期がすでに2月末。飛行機の予約がとれるわけもなく、じゃあ、5月にと。とはいうものの、5月の予定を立てられたのも、結局4月になってから、というわけで、今回も飛行機は予約できず。娘には「飛行機のかわりに新幹線に乗せてあげるから」と到底納得できないながらも「遊園地(USJ)」であきらめてもらった。 「新幹線」といっても長野県の南信は、新幹線不便地帯。自分の小学生時代は豊橋まで出て新幹線に乗った記憶が。しかし出張族に聞くと「岐阜羽島」まで車で行って乗るのがいいらしい。行ってみると、話しに聞いたとおり、駅周辺は混まずに駐車場もたくさんあって、便利でした。 さて、飛行機のかわりの「新幹線」でしたが、案の定というか、待ち時間にマンガを買ってしまったせいか、乗り込むと同時に読書タイム。「ねえ、ねえ、せっかくだから外を眺めてよ」という母の声もあまり届かず、「ここが京都だよ」といっても「ふ〜ん」で終わり。修学旅行のように、事前勉強でもさせておけばよかったかも。それでも、電車の旅の雰囲気を味わいたくて、車内販売で飲み物を買ってみたり、いすを向かい合わせにして座ってみたりと、演出に四苦八苦。とはいえ、大阪まで1時間しか乗らないので、あっといまに下車。高いアトラクション代(?)と思うのは親の自己満足でしょうか。 今回、行きは最寄の中央道を使いましたが、帰りは中津川ICで下車し、木曽を通って権兵衛峠を越えて帰って来ました。「越えて」というか、新しく開通したトンネルを抜けて来たのですが、このルート、混雑もなく高速道路利用と時間的にも30分ほどしか違わない便利な道でした。 もう一つの実験はETC(自動料金支払いシステム)の通勤割引を使ってみること。100キロ未満で、指定の通勤時間帯なら、利用料金が半額になるというもの。“こまちゅ”は、このために、わざわざ100キロ未満のICで一度下車して、また乗るということをしたのでした。結果、確かに料金は半額になる。でも新たに起算されるので、もともと支払うべき高速料金の半額というわけにはいかず、どう努力しても多分700〜900円ぐらいの節約といったところ。当然、インターの出入り口をウロウロするので、混雑時には使いたくない技であります。前もって、100キロ未満にするためにはどこで降りるかを考えていかなければならないし、「通勤」のための割引制度なのに、私たちのような観光客が使っていいの?という罪悪感も多少あり。(でも、高速利用者が通勤か観光までは、機械で判別できないから、こういう使い方も想定の範囲でしょう。) ETCの利用促進のための割引制度らしいのですが、利用促進になるのかは疑問のような気もします。 今回の大阪行きは、いろいろ「試し」にやってみたことが多い旅でした。(ちなみに、2日めには大阪城と心斎橋・道頓堀付近の街歩きをしてきました。) <encha> |
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行列には本<2006.5.16> GWに大阪USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)へ行きました。混雑は覚悟の上ですが、いや〜本当に混んでいました。後日新聞(ネット版)を見ると「USJの人出は平年並み」とあったので、あれが「GW中、普通」のUSJなのでしょう。今回は、2時間でも待って、乗りたいものに2つ乗れればいいやと覚悟を決めていました。結果は「ジュラシックパーク」「ターミネーター」「バックドラフト」「ジョーズ」の4つのアトラクションに入り、まあ満足の1日。それにしても、歩いて・並んで足は疲労の極限状態。ほとんど「意地」で1日を過ごしたのでした。 今回、初めてUSJに行くにあたり調べてみたのですが、TDLのようなファストパスはなく、入場予約するには有料の「ユニバーサル・エクスプレス・パス」を購入しなければならないらしい。入場料でも高額なのに、さらに2800円〜(チケットの数で値段があがる)を購入するのは痛い。でも、2時間待ちの横をチケット片手にすーと入場する人をみれば、いいなあと思わないわけでもない。と、いっても、GW中のパスは早々に売り切れていたようで、もともと手に入る状況ではなかったわけですが。 入場を待つのに、子どもたちは途中の駅で買ったマンガ単行本とゲームをし放題とあって、意外と楽しそう。携帯ゲームをしていると、蛇行している隣の列の小学生が、ゲームを覗き込んで息子に話しかけてくる。前の女の子はDS(携帯ゲーム最新機)のタッチペンで字を書いてる。携帯電話のゲームで時間をつぶす大人もいて、行列の待ち時間は、もくもくとゲームに没頭する人・人。本を持ってこなかったと悔やむ“こまちゅ”だけど、本を読んでいる人は見当たらなかったです。でも、ほんと、本を持っていったら日ごろの読書不足が解消できただろうと今後の反省としたのでした。 アトラクションは、息子と“こまちゅ”は3Dのターミネーターがおもしろかったといい、私はジュラシックバークのスプラッシュ・ダウン(ジェットコースター)がよかったです。娘はバックドラフトの炎がとても怖くて、ブルブル震えていました。いろいろ5周年記念ショーがあったのですが、なにしろ行列からはずれられないので何も見れず、(見たい人は何時間も前から席取りをしていた)、夜8時からのピーターパンも「見たいなあ〜」とつぶやきつつ、あまりの疲労にホテルに戻ってしまいました。やはり、すいている平日に訪れたいものです。 今回チケットを購入する際に、自分の携帯に混雑状況をメールしてくれるサービスに登録しておきました。午前中は1時間に1回ほどメールが届き、URLにつなぐとアトラクション名と待ち時間が表示されます。これは、とても参考になりました。「じゃあ、次はこれにしよう」とか、「これは170分待ちだからあきらめよう」とか、判断の基準になりました。夕方でも120分待ちのアトラクションもありましたが、夜ホテルに戻ってからみると30分待ちの表示。「あ〜今頃なら余裕で入れるな」などと楽しんでいました。 <続く・・・encha> |
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腰痛がもたらすもの<2006.4.27> 3月に、朝ふとんをたたもうとしたら腰にギクッと痛みが走りました。なんとか動けるもののぎっくり腰らしい。歩くときは腰を動かさずに水平移動のように歩き、座ったり立ったり、姿勢を変えるときは特に痛みを我慢しながら、慎重に動かずにはいられない。一度座ってしまうと立つ気にならず、日ごろから手抜きの家事がさらに手抜きになる。 毎日毎日「母は腰が痛いから、片付けは自分でやってね。」と子どもに言っていたら、みかねたのか長男が夕食のあと「お茶碗洗ってあげるね」とせっせとお手伝いをしてくれました。「助かるね。ありがとう。」と寝ている母。そんな生活を1週間して、少し良くなった頃、地域のごみ拾いに参加したところ、その日の夕方、再度「ギクッ」。あ〜あ、また座ったら座りっぱなしの日々。 そうこうしているうちに、新年度。子どもたちは進級して気持ちも新た。学校から帰った長男いわく「今年1年がんばることを今日発表したんだ。僕は漢字をがんばる事と、お母さんがぎっくり腰だから茶碗洗いをするって言った。」と得意気。「母は1年中ぎっくり腰じゃないよ〜」と学校で発表されたことに軽いショックを受けつつ、母をいたわり積極的に手伝いをしてくれる長男の成長に感動しました。 ぎっくり腰もようやく何の違和感もなくなるころ、最近は茶碗洗いをしてくれない長男に「ねぇ、お茶碗洗ってよ」と言うと、「やだ〜」と簡単に拒否されました。「あれっ」もうお手伝いには飽きてしまったらしい。「感動をかえして〜」と言いたいところですが、まあ、仕方がないかな。少しの間、息子が親切にしてくれたことを大切な思い出にしておきましょう。ちなみに、ぎっくり腰になったからといって“こまちゅ”はかわりに布団をたたんでくれるわけでもなく・・・。まあ、こちらも期待はしていませんでしたが。人をいたわるとは、難しいものなのです。<encha> |
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手抜きはツケがくる<2006.03.28> 我が家の子どもたちはこの春小学5年と2年になります。子どもにべったりくっついていないとならない時期が過ぎ、親としても少し開放感を味わえる頃。しかし最近の苦労は娘のお風呂嫌い。せめて2日に1回は入ってほしいのに、毎回「おふろいや〜」と騒ぎたて、なだめて頼んで最後には叱って入れる始末。 お風呂は子育ての最初の仕事のような気がします。新生児の沐浴で緊張し、幼子二人をどうやって一人で入れるかで頭を悩まし続けました。“こまちゅ”は平日ほとんどあてにできなかったので、お風呂はずっと母親の仕事。お風呂が楽しいように、いろいろ工夫してバスタイムを演出してきました。お風呂が終わってようやく1日の自分の仕事が終わった気分を味わったものです。 子どもが成長し一昨年あたりから兄妹二人でお風呂に入ってもらうことも多くなり、「なんて楽だろう」と感じていました。さすがに洗髪をしにお風呂に向かったものの、二人で仲良く入って、遊んで出てきてくれると、親の手間は半減。ところが、それは長くは続かず、兄は「もう一緒はいやだ」と一人の入浴を楽しむ年頃になってしまいました。これも成長の証と喜ぶべきところですが、残された妹は「一人じゃやだ〜」。 まあ、当たり前といえば当たり前。まだ小学1年生。家族と一緒のお風呂がいいに決まっています。しかし、手抜きを覚えた母は、なかなかお風呂当番に戻れなくなりました。「洗髪にはいくから」などとごまかしつつ、なんとか一人でお風呂に入ってもらおうとあれこれ言っているうちに、娘は「お風呂嫌い」になってしまったのです。 兄を見ていれば、時期が来れば自然と「一人でお風呂」ができるはずだったのに、親と一緒にいたい時期に親が手抜きをしたばかりに、まだ当分「一緒じゃなきゃ入らない」状態は続きそうです。 子育てに手抜きは必要です。そうでないと、母親がまいってしまいます。でも、手抜きをしたつもりなのに、結局そのツケはどこかで払うのも子育てなのでしょう。ある定められた量以上は子どもが大人になるまで、もしくは親が死ぬまで関わらずにはいられないのです。子どもの成長とともに親も「もういいか」と思ってしまう子育てですが、やはりするべきときにしておかなければならないのだと、反省しています。<encha> |
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パソコンは機器をつなぐもの<2006.01.20> 新年も20日が過ぎました。皆様が健康で今年も過ごせますようお祈りいたします。 我が家には3年ぶりにインフルエンザ菌がやってきて、「災害は忘れた頃にやってくる」を実感しています。やはり「自分には関係ない」と思っていてはいけないのですね。 さて、昨年晩秋の頃にパソコンを買い換えました。世の中の進歩を横目でみつつ、だましだまし使っていたWin98にも、さすがに限界を感じていたのが一因。買い換えるにあたり、いくつかの機種を比較して、S社のPCを選択しました。 家電を買う際、我が家では仕事の関係で関わりの深いメーカーのものを選ぶのが常でした。結婚当初そろえた家電はほとんどN社。そのうち“こまちゅ”が「M社と合弁」といえばM社製品をちゃんと購入していました。車も部品を提供しているといえばH社だったり。我ながら律儀だなあと思いつつ。しかし、今の世の中、コストダウンのため、今までライバルと思っていた企業が、部品で提携したり、合併したりとめまぐるしい企業のありよう。カメラ業界の合併に驚いていたら、カメラ事業から撤退→製品は家電メーカーへといった、どこが老舗で、どこが生き残るかはほとんど予測不能な世の中です。 そんな中PCは、今までの流れでは絶対N社を選ぶべきところですが、機能を比較し、自分のやりたいこと、ほしいものを考えるとS社になってしまいました。これからのPCの使い方を考えると、1.デジカメデータ 2.ビデオデータ 3.テレビ&DVD録画 4.オーディオといったAV機能の充実がどうしてもほしいところ。どこのメーカーでももちろんそうした機能のあるPCはあるけれども、外部機器との相性があることは周知。ときどき起こる、この相性の悪さが、PCには致命的になることも、使い勝手がものすごく悪くなることもありえると予想。裏技でそういった不便さを解決することは可能でしょうが、最初から相性がいいだろうPCを選ぶのが妥当と判断したわけです。 新しいPCを自宅で設置し、古いPCからデータをうつしたり、ネット環境を整えたりを、またもや一人で(“こまちゅ”は何もしない!過去参照)コツコツやった末、今ではだいぶ使いこなせるようになりました。そういえばお正月におもちの食べ方アレンジという新聞記事を目にした“こまちゅ”。「こういう工夫した料理が食卓にでないな」とつぶやく“こまちゅ”の横で、紙面横のパソコン関連記事を熟読する私に「料理よりPCにしか興味ないもんなー」と非難のまなざしを送っていました。(お互い様です(^^ゞ) まだまだ宝のもちぐされの感じですが、今年は「PCでできること」にどんどん挑戦したいという目標ができました。 <encha> |