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年が暮れる<2004.12.29> なんて変化の多い一年だったでしょう。3月までは単身赴任中の夫の留守を守る妻であり、4月からは10年ぶりに故郷に戻った転入者であり、夏には父を亡くした娘であり、骨折した子を持つ母であり、秋からは仕事を再開した勤労者であり。神経が過敏のまま一年が過ぎてしまいました。 作家田口ランディさんのHP(こちら)を見ていたら、下記のことばがありました。 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 友達の、今泉さんのブログを読んでいたら、こんなことが書いてあった。 -------------------------------------------------- みんな朝から働いていて、 南の島では たくさんの人が津波の被害に遭っていて、 初雪が降っているところもあって、 そんなときに私は 自分のことで精一杯だ。 きょうに限らず 私はいつも 自分のことで精一杯だな。 本当に自分はちっぽけだなーと こんなときに思う。 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 引用の引用になってしまい恐縮ですが、あまりにも、今の自分にもぴったりな気がしています。田口さんはご自身の見解を述べた後、 私はちっぽけで、他者の苦しみもわからず、ただこうして漫然と自分のことに精いっぱいの毎日だけれど、こんな自分だからもう一度、どこかの誰かと、気持ちが通じ合うようなそういう喜びを感じることができるし、その可能性をもっているんだろう。−中略− わからないけれど、きっと、ちっぽけでいいんだ。とりあえず、そう思おう。 と結んでいます。 大災害が起きても、自分の身に降りかからなければ、なかなか現実として何かを感じることは難しいものです。私は親を亡くしてみて、初めて親を亡くした友の気持ちを少し感じることができました。本当に、本当に、これは亡くした者でしかわからない悲しみなのだということが、わかりました。 そして、今泉さんの「きょうに限らず 私はいつも 自分のことで精一杯だな。」に共感します。家族や周りのことを考えなければならない年齢になっても、自分のことで精一杯な一年でした。でも、ある意味では被災した当事者のような気持ちもありました。ちっぽけな自分には何もできず、何も努力が実らないような気もします。それでも年は暮れ、新しい年がやってくる。ちっぽけな自分には、ただひたすら毎日を駆けるしかない気もします。それでも新年は、駆けながらも何かを掴める年になるように願いたいです。皆様良いお年をお迎えください。<encha> |
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翻訳のしなおし<2004.12.9> 映画化されたからではなく、もともと村上春樹氏が訳している絵本と言うことで注目していた『急行「北極号」』。1987年に翻訳絵本(河出書房新社)が出版され、2003年11月に翻訳をすべてやりなおした形で再度出版(あすなろ書房)されています。2冊を読み比べてみると、新しく出版された本の方が、とても読みやすいのです。その一、漢字を減らし、使った漢字にはふりがながふられている。その二、物の名前が今風になった。その三、訳者が表現方法を変えた。訳に忠実というより、「読んだときのリズム」を気にかけているように思える。というあたりで、読んでいても、とてもスムーズにすすめられる絵本に生まれ変わっていました。 訳をしなおすという行為が、村上氏だなあ、と感じるのです。私の知る限り、一度出版した本を再度発刊する場合、訳者を替えて、というのはあるかもしれません。でも、同じ人が再トライするというのは、あまりないと思われます。翻訳作業が好きという村上氏だから、言葉にこだわる小説家だから、ではないかと思うのです。 なにはともあれ、読みやすくなって、この絵本が一人でも多くの子ども読者に受け入れられることになったことは、とてもうれしいことです。クリスマスが近づく度に「サンタクロースって本当にいるかな?」と質問する子どもたちに、「この絵本の子どもたちみたいに、鈴が聞こえる人と聞こえない人が世の中にはいるんだよ。サンタクロースは信じている人の所には来てくれると思う。」と話をしています。クリスマスは、物欲が強い子どもたちに、「心」を伝える時期にしたいと努力する日々です。<encha> 映画タイトル『ポーラー・エクスプレス』こちら |
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モノドラマ<2004.11.3> 先日、子どもの小学校で音楽祭があり、5年生がモノドラマ「おれたち ともだち」を発表しました。(我が子は5年生ではありません。)「おれたち ともだち」は内田麟太郎:文、降矢なな:絵の『ともだちや』『あしたもともだち』の2冊の絵本を続けたもの。“モノドラマ”なるものを初めて観ましたが、歌とセリフ、それに効果音の3つを児童が代わる代わる演じるものでした。(ミュージカルのように、動き回ったりせず、基本的に児童は斉唱体制で整列しています。)今回の音楽祭に向けて、地元ゆかりの東京藝術大学の教授に企画・助言していただいているようで(台本が一般的に流布しているのかどうかはわかりませんが)、大変構成がしっかりしています。 音楽祭は一般のお客様も鑑賞していて、『え〜ともだちはいりませんか?1時間100円・・・』と児童が言った時点で「くすくすくす」と笑い声がしました。私は「『ともだちや』を一度も読んだことのない大人は驚くかもなあ」と、自分が初めて『ともだちや』を読んだときの感覚を思い出していました。今ではもっと深く、この絵本の良さを実感していますが、当初「ともだちもお金で買う時代、という感覚がこれからは必要なんだろうか?」とこの絵本に少し疑問を抱いていたのです。 モノドラマは、子どもたちの感情のこもった演技(声)で、とてもすばらしいものでした。もともと内田麟太郎さんのシャレのきいた文がとてもすてきな絵本なだけに、ピアノに合わせて歌われた部分も、キツネとオオカミは実際にこんな調子で歌っていたんだろうな、と楽しい気分になりました。 家庭では5年生に「絵本」は読みきかせたりしないかもしれません。教科書に載っていたとしても、ある意味、勉強としての読書になってしまうかもしれません。でも、こうした読書と音楽が合体した取り組みは、児童たちの心にきっと残る気がします。5年生が大人になって、自分の子どもに読みきかせながら、『くまはこまった〜♪♪』と歌ってあげられたらうれしいです。(注:文中のセリフは正確なものではありません。) <encha> |
災害<2004.10.24> 今年の夏は猛暑でした。その後、台風がいくつも上陸しました。昨日(10/23)は新潟で大地震でした。夏に、父を亡くしました。父がなくなってから2ヶ月経ちましたが、何も気持ちの整理はつきません。でもその間に、子どもが足を骨折し、治りました。保育園と小学校の運動会もありました。季節は、猛暑から初秋が過ぎ、この辺りではすでにストーブとコタツのシーズンになりました。2ヶ月って、骨がくっつくほど長く、季節が変わるだけの時間が流れるものなのですね。でも亡くした人は帰って来ず、時間が止まってしまったのがいまだに悲しいです。この2ヶ月、災害で突然身内を亡くした人が大勢いることでしょう。父は入院していたものの、本人も家族も元気でまた家に戻ってくるものと思っていたので、まるで事故にでもあったようです。何かほんの一つの組み合わせが変わっていたら、今も元気で「おうっ」と言いながら目の前に現れる気がするのです。被災した人たちも、時間や場所、条件が変わっていたら、生きていた人も多かったことでしょう。 人の運命はわからないものです。でも残された身内は、後悔と無念さをにじませているのではないかと思います。 このコラムに身内のことを書くのは、今でもつらく、どうしようかと思いました。でも書かずに他のコラムを書くこともできず、前に進むしかないのだと思います。引越し以来やめていた仕事もするようになりました。子どもは音楽会の練習をしています。生きているものの生活は止めることはできず、流れているものだと感じます。やはり、そこで精一杯生きていくしかないと思うのです。<encha> |
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花を飾る<2004.7.14> 引越しをしてから、比較的手軽にお花が手に入るようになったので、花を飾るようになりました。立派な花は“こまちゅ”の実家で義母が丹念に育てているもの。その他、土手に咲いたマーガレットや川原へのサイクリング途中で娘と摘んだ野の花など。その時々に飾る花があるというのは、いいものです。 5月、庭にひまわりの種をまきました。どんどん、どんどん、大きくなり、今は70センチほどの丈に。ひまわりって、こんなに大きかったっけ?と思いつつ、花が咲くのを待っているところです。 引越しのときに、ベランダで育てていた花の鉢を、わざわざ持って来ました。ほとんど育て方も知らず、置いておいただけの鉢ですが、こちらの方が太陽が近いせいか、株が大きく育っています。花を育てるのは、難しいし面倒です。あまり面倒見がいいほうでない自分には、なかなか上手くいきません。できるだけ手間がかからず、1年中咲いている花を選んで、庭に植えてみています。 冬の寒さが厳しい地方だけに、今のこの時期、どの植物も太陽をいっぱい浴びて大きく花開く気がしてなりません。どの家の庭先も畑の隅も、花だらけです。人ってこんなに花が好きなんだなと改めて感じつつ、アジサイの次は何の花を飾れるか、楽しみにしています。<encha> |
![]() <7月アジサイ> ![]() <6月ユリ> |
![]() ![]() ![]() ![]() <5月末 バラ、 ムシトリバナ、野草> <6月マーガレット> |
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イチゴと『いちご』<2004.6.11> “こまちゅ”の実家の畑でイチゴがたくさん取れるというので、皆で採りに行きました。4メートル四方ぐらいの場所に、青々としたイチゴの葉。その下にいくつもの、イチゴの赤い実。「こんなにあったら、イチゴ狩りに行く必要がないね」といいながら、少し汚れているものはザルに入れ、せっせと食べること15分。早くも子どもたちは飽きたらしく「遊んできていい?」と畑を後にしてしまいました。一緒に行った姉と二人、それから黙々とイチゴ摘み。喉が渇くと大きめのイチゴをほおばり、「もう、これくらいでいいよね」と、摘んだイチゴは台所用のザルに8杯以上。(写真左) ![]() ![]() 家に帰ると、洗ってヘタをとって、少し手でつぶして置くこと1時間。水分が出てきたころで大鍋にかけて、ジャム作り。まだまだ、イチゴミルクをかけて生で食べたいという子どものために、3分の1は置いておくことに。(写真右・・全部は食べきれず、翌日またジャムにしました。) お砂糖を入れ、赤い色のジャムにするには、あまりつぶさないうちに、一度実を取り出し ![]() ところで、イチゴ摘みの後日、絵本『いちご』を描いている「平山和子」さんの原画展を観に行きました。『いちご』の絵本の原画が、絵本のページのまま額に飾られていて、その下にはちゃんと絵本の文章も。ページをめくるように絵を眺め、「あ〜いちご、そのまんまだな」と改めてこの作家の筆力に感心してきました。また、原画展の会場に本物のイチゴのプランターが置いてあり、主催者の心配りを感じました。(「平山和子の世界」茅野市図書館主催〜6/18) 原画展には子どもを連れて行かなかったのが残念ですが、畑のイチゴを見た後に、この絵本を読んだら、とても楽しそうです。絵本と実体験がリンクしながら親子で楽しめると、絵本の世界も広がるし、実体験も思い出深いものになることでしょう。<encha> |
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地球は大事。でも難しい<2004.5.25> 引越し先では今までの地域とはゴミの捨て方が随分違います。「随分違います」などと生易しいものではなく、ほとんど「ゴミ捨てノイローゼ」になりそうなくらいの違いです。燃えるゴミは生ゴミとリサイクルできない紙ゴミのみ。ほとんどの商品の袋・入れ物は資源プラスチックにしなければなりません。改めて見回せば、プラスチックだらけ。スーパーの袋はもちろん、ヨーグルトの空き容器、お菓子の袋、食材の包装、挙げればきりがありません。それらのうち、きれいなものを指定の袋に入れ、氏名を記入して月2回の指定日に出すのです。プラスチック以外や汚れた物が混入していれば、引き取ってもらえず、家まで戻されてしまうとあると、どうにも、厳密にゴミを処理するしかないのです。 この分別回収は、ものすごく大切でいいことなのは充分承知です。でも、今まで「燃えるゴミ」として週2回出せていたものを、ひとつひとつ洗って乾かして分けるというのは、心の負担です。プラスチックで汚れが落ちないものは「燃えないゴミ」として出せます。でも月1回しか収集日がありません。今までのように「汚れたもの→“はい”ゴミ箱」などとしていたら、1ヵ月後には家がゴミの臭いであふれてしまいそうです。 先日、娘の保育園に参観に行ったら、給食で出た一口ゼリーの容器を、園児が一人一人洗っていました。家で食べるアメ玉の袋も「プラスチックだよね」と別のゴミ箱に捨てます。これからのこの地域の子どもは、「プラスチックは洗う。燃えるゴミに入れない」が常識になるのでしょうか?でもこのシステム、住民の顔が1軒1軒見える地方だからできるしくみのような気がします。核家族が多く、共働きも多い都心で、この方法を取ったら、批判続出でしょう。何分、手間と水道代と“自宅のゴミ保管場所”がかかります。地域のゴミ捨て常識が日本中の常識にはならないところが、複雑です。 という訳で、毎日ゴミと格闘しています。高い有料のゴミ袋を購入し、買ってきたものの袋を捨てていると、「包装なんていらない」と切に思います。早く、科学が進歩して、全てのゴミが無害の自然物に戻るようなしくみにならないかと願ってしまいます。あ〜。いえ、ゴミを出さない暮らしをしないといけないんですよね。はーっ。<encha> |
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新居にて<2004.4.23> 今回の引越し先は、某役所が管理する公営住宅。新築で設備もよく、大変ありがたく入居しております。が、新築が故のハプニング続出。 その1:引越し当日、電話の切替え&新築住宅までの引き込み工事を依頼しておいたので、NTTの方がさっそく来てくれました。が、外観をみて、「電話の本線が来ていないから、電話がつなげない」と帰っていってしまいました。なんと、役所で電話の工事依頼を忘れていた様子。結局電話がひけたのは、2週間後。 その2:カーテンレールが1本。これって、役所の担当者にとっては当たり前なのでしょうか?それとも経費節減?我が家は道路からも見える場所。レースのカーテンがかけられないと、部屋の中が丸見え。結局、自分たちで2本のカーテンレールを購入し、各窓、取り付け替えました。(思わぬ出費!) その3:洗濯機を設置し青いマークの蛇口をひねり、洗濯をしたら、お湯による洗濯となってしまった。洗濯物がほっかほか!試しに赤いマークの蛇口をひねると、水が。連絡してから20日程して、配管工事の方が、床下の水道管のつなぎ替えにやってきました。 その4:合鍵を作ろうとしたら、「合鍵の管理も役所で」と言われ、依頼。2週間して持ってきてくれたカギが使えず、その後3回目にはカギ屋さんも同行してきましたが、結局1ヶ月近くたっても合鍵が手元に届きません。ピッキングに強くホームセンターなどでは合鍵が作れない最新のカギのようですが、合鍵を子どもに持たせられないので、子どもが帰る時間に不在の時は、カギを掛けずに外出。これって本末転倒?!!!。 家を建てるって大変なことなのでしょう。が、入居する方も大変なのでした・・・。<encha> |
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ネットつながり<2004.4.16> 引越し騒ぎの中、絵本作家の内田麟太郎さんのホームページを読んでいたら、光栄にも私の書いた感想を取り上げてくださっていました。(公式HPはこちら 「広告する日記」のコーナーの4/6付欄) 絵:伊勢英子さんの『はくちょう』の本についての、息子のつぶやきを載せたものですが、作者の目に留まるというのは、読者にとっても本当にうれしいものです。こういう出会いは、インターネットの本当の良さだなと、つねづね、感じています。 実は、以前にも、この『はくちょう』が縁で、内田麟太郎さんのHPからリンクをたどると、それは、自分の高校時代の友人のご主人が開設しているHPだったという、うれしい出会いがあったのです。(前出「広告する日記」2/11付)お医者さんのHPの1コーナーに絵本に関する記述がたくさんあります。(HPはこちら)絵本サイトは従来、女性が開設者という場合が多かったように思いますが、今は男性が書くHPがずいぶん増えました。「お父さん」の視点で「絵本」「よみきかせ」「子どもとの関係」などをみると、「こうなんだな」と感心することが多いです。 「読み聞かせするお父さん」のネットつながりは、更に輪を広げているようで、このご主人は、今、ネット上では有名な『パパ'S絵本プロジェクト』さん達ともつながっている様子。(HPはこちら) 更に、更に話をすると、『パパ'S絵本プロジェクト』さんの一人のことを知っている私の高校時代の友人がいることも判明。(絵本がらみでのお知り合いとのこと)。判明したのはたまたま送った電子メールでのやり取りからでした。なんだか、お会いしたことがない方なのに、ぐるっと回って、皆さんに親近感を持っているところです。 以前に好きな小説家のHPで「読者の皆さんとはインターネットでつながっている」という文章を読んだことがあって、本当にそうだな、幸せなことだなと感じました。直接知らない方々(作者の方、知り合いの知り合いなど)なので、礼儀を忘れずにと思いつつ、インターネットの便利さをフルに使えたら楽しそうです。<encha> |
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引越し完了(とりあえず)<2004.4.16> 前回の更新から、気が付けば1ヶ月が過ぎています。3月は本当に忙しい日々でした。転校・転園となるので、ご挨拶がわりにお友達へ渡すものの準備や、こういう時に限って特別に会社が忙しかったりとか。すべての用事の最後に荷造りとなったので、引越し前日は夜通し荷造りとなる羽目に。物を捨てられない性格上、荷物は4人家族とは思えない多さ。それでも、新居に荷物もなんとか入り、生活ができるようになりました。 ところで、「お別れ」は、親子でそれぞれ。保育園児の娘は、お友だちに牛乳パックで作る人形を渡したいというので、毎夜コツコツ母と作り、最後の日に全員へ渡せたので満足気。「○○先生、泣いてたよ〜」と、意外と冷静でした。お迎えに行った母は、先生方やママ友との別れの方がつらく、大人の目に涙の一日。 ![]() 小2の息子は、お別れにとお友だちから文房具などをプレゼントされ、「物」につられて笑顔(^^ゞ。お手紙もたくさん頂いて、心のこもったものが多く、読んでいる親の方が感動。息子も平静にお別れができたようです。 実は二人とも、また頻繁に遊びに行けると考えているらしい。転居先でも「今度いつ遊びに行けるの?」と聞かれています。近いような遠いようなの移動3時間、距離200km。親も遊びに行きたいので、「休みが取れたら、行こうね。」と話すとうれしそう。 今回のお引越し、新居ではいろいろハプニングも続発。それも、次回にお伝えします。 [ 写真 ]牛乳パックで作ったお人形 <encha> |
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笑顔を忘れずに<2004.3.13> 3月は卒業・転勤のシーズン。先日は娘の保育園でクラスの補助としていつもいてくれた先生が、去っていく日となりました。5歳になったばかりの娘。週の初めから「○○先生、あと2回来たら、さよならなんだって〜」と、とても気になっている様子。最後の日にお迎えに行くと、他の先生から「はるちゃん、先生と別れがたくて、大泣きでした。泣いているのみたら、こちらまで泣けちゃいましたよ。」と言われ「かわいがってもらっていたからなぁ」と寂しい限り。でも娘の様子はどちらかと言えばいつもどおり。「○○先生、お別れだったね」といっても、泣いたことが恥ずかしいのかほとんど何も言わず、元気に遊んでいました。 夜、夕ご飯をいつもどおり食べ、いつもどおり「たべられない〜」と途中でペースが落ちているので「全くしかたがないな」と思いながら家族の食器を片付けて、ふと見ると娘が椅子で「しくしく」泣いている。どうしたの?と聞いても何も言わず、「ごはん食べるのイヤなの?」と聞いても何も言わず。30分以上静かに泣き続けました。しばらくして、ようやく聞き出したところ、先生とのお別れを思い出したらまた涙が出てきたみたい。先生からのお手紙を大事そうに握り締めていました。 実はこの3月末で我が家族も転居する予定。娘本人も保育園から去る立場となっています。娘には言ってあるものの、実はよくわかっていないようで、年長組になるつもりも、まだあるみたい。「そうは言ってもまだ5歳だからな」と思いつつ、今回の先生とのお別れがこんなにつらいのに、自分の時はどうなってしまうのか、不安になりました。 頂いた先生からのお手紙に「あまえんぼうの はるちゃん。 だけどしんは つよいんだよね。(中略)えがおをわすれずにね。」と書いてありました。お別れはつらいけど、頑張れ!と思いつつ、実は親もお別れはつらいです。娘共々泣いてしまわないように、今から心しておかないと・・・ですが・・。(引越しの話は続く)<encha> |
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転びやすいって遺伝する?<2004.2.12> 久しぶりに子どもと遊園地に行きました。冬場とあって、それほどの混雑もなく子どもの乗りたいものに順調に乗ってみんなご機嫌。しばらくは下の子でも乗れる乗り物に乗っていた長男が「バンデッド(ジェットコースター)に乗る」と言って、走り出しました。ここの遊園地は丘陵地にあるので、園内は階段や坂道だらけ。駆け出した子どもたちを追いかけて下り坂を走り出したとたん、「ばった〜ん!!」と自分が転んだのです。それはもう、見事な転びっぷり!!ものすごく痛かったのですが、あまりのはずかしさに後ろも振り向けず、びっくりした顔の子ども二人に「転んじゃったよ〜」と近づき照れ笑い。ぶつけた膝をみると、なんとジーパンに穴が!。とほほ、と痛い手のひらをみると、なんと、手袋の真中が両方破けてる。 こんなにも見事に転んだのは何年振りか。と思い出したのは学生時代に駅の乗り換え階段の踊り場ですべって転んだときのこと。あの時も、恥ずかしくて、周りを見回すこともなくホームに急いだ覚えが・・・。転ぶのは年のせい?と一瞬思ったけど、若いときからそそっかしいということか。人が大勢いる場所で転ぶ恥ずかしさは、あまり経験したくないこと。でも転んでしまう。う〜ん、ここ何年か、子どもが転ぶ姿を見ていて、転ぶのは子どもだからと思っていたけれど、もしかして、これって遺伝?そう言えば、自分が転ぶ前に、別の場所で娘も転んでいた・・・。 などと、考えられるようになったのは、ずーと後のこと。遊園地にいる間中、痛い手のひらと膝をさすり、破けたお気に入りのジーパンと手袋を気にしつつ、歩いたのでした。 運動不足のせいと言われそうだけど、やはりそそっかしい性格を治すのが先かも。それにしても、ぶつけた膝が痛い。(T_T)<encha> |
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ケータイをなくす<2004.1.15> 新年となりました。今年もよろしくお願いいたします。 新年早々、"こまちゅ"が携帯電話をなくしてきました。飲んで夜遅くに帰ってきて、翌日外出しようとして「ない!」。ケータイを探すのに一番にするのはケータイに電話をすること。「電源が入っていないか、電波の届かない所にあります。」とのメッセージ。家の中にないとなると、やはりどこかに落としたということに。でも、電源はONだったので、このメッセージということは、その辺の道に落ちている可能性も少ない。 「飲み屋じゃないの?」「帰りの電車でケータイを見たような気がする。」「じゃあ、電車だよ」ということで、昨日乗ってきた電車会社の落し物係に電話することに。相手も慣れたもので、携帯の番号を聞くとさっと調べて「ありません」。きっと、毎日こんなふうな「携帯を落とした」電話がかかってきているんだろうなと、察するにあまりある対応。 この時点で、"こまちゅ"は早くもあきらめムード。日ごろから置いた場所を忘れることが多いせいか、「困った」といいつつ、真剣に探そうという態度が薄い。(以前も会社のロッカーの上着にケータイを入れっぱなしで、ずいぶん探した。)物に執着しがちな妻は、あきらめきれず最寄駅に電話。しかし、ここにもなし。明日また電話するしかないという"こまちゅ"を睨みながら、「××センター止まりの電車だったから、寝過ごしても近くて安心と思って乗っていた。」となにげなく言っていたのを思い出し、「××センター駅に聞いたら?」というと、しぶしぶ電話。そこでビンゴ!無事に発見できたのでした。 妻の推理の賜物と思っているのですが、"こまちゅ"は、のほほ〜ん。物を無くしやすい人は携帯電話を持たないほうがいいと思っている人間は、私だけでないはず。「ケータイないと、連絡先が全部わからなくなるんだよな」と重要性を知っていながら、未だにデータのバックアップを取っていない様子。 皆様もお気をつけください。 <追記>:悪用されてからでは遅いので、ケータイをなくしたと思ったら、すぐにケータイを利用不可にします。今は再開の手続きもWEB上からできるので、便利。 <encha> |