わがままコラム 個人的ひとことコーナー 一覧表に戻る

あと5時間<2003.12.31>

 今年も残りわずかとなりました。めずらしくお正月を東京で迎えるということで、年末の都心へ出かけてみました。一ヶ所は「東京ミレナリオ」。東京駅から会場へ続く道は、人の波。街中というのに、進まない行列。横に新しい丸ビルを眺めながらようやく光の門に到着。「うわ〜すごいね。」「きれいだね〜」と子どもたちの感嘆のことば。「すごいすごい、どこまで続くの」と興奮の中、人の波にそって歩き続けました。光の門は『パラトゥーラ』というらしく、『江戸開府400年を記念し、「江戸切子」(カットグラス)の文様に着想を得た』デザインらしい。自分が合わせ鏡を覗いているような気分、そして、光の暖かさを感じてくることができました。ミレナリオHP
 その後、「東京タワー」に移動。子どもたちは展望台に上るのが初めて、大人も学生時代以来とあって、エレベータでどんどん高くなる外の景色に大喜び。特別展望台へも登り、更に高い場所から年末のキラキラした東京の夜景を楽しみました。「東京タワーといえば、修学旅行のお土産買ったこと思い出すよね」と古い話(自分たちの小学校時代は東京が修学旅行先だった)をしていると、子どもたちの「何か買う〜」コール。それぞれ「東京タワー」の名前入りキーホルダーを買ってご満悦。子どもたちも大人になってから、「ここでおみやげかったよね」などと思い出してくれるでしょうか。
 2003年、いろいろな人たちと様々な場所へ出掛ける機会がもてて、とても幸せな時間を過ごせたと思います。子どもが、出掛けるのにあまり苦労しない年齢になったというのも大きく、成長がうれしい年でした。来年も多くの出会いの中で、自分のできることをコツコツ続けていけたらいいと思います。皆様、良いお年をお迎えください。<encha>



ラーメン屋さん<2003.12.8>

 "こまちゅ"の趣味で近場のラーメン屋さんにわざわざ食べに行っているので、本日は、行ったラーメン屋さんの紹介。
尾道らーめん正ちゃん(町田) 小魚・鶏がら・昆布だしのスープ 
分田上(わけたがみ)(八王子) 豚骨スープ でも、サラサラ
千人同心(八王子) 豚骨・昆布・煮干・鰹節・野菜のスープ。刻みたまねぎがのる。
たけちゃんにぼしらぁ麺(調布) 煮干の和風だしと動物系スープをブレンド。煮干の匂いが道路までただよう。
ふうや(府中) 鶏がら・豚骨+α このお店、うなぎのねどこのような店内にびっくり。
西海(多摩) 白湯スープに焼きアゴのスープ。豚骨にアオサの磯の香りがする、他では食べられないラーメン。
山形ラーメン天童(稲城) 和風だし、中太平打ち麺 夏場の冷たいラーメンも美味。
らーめん三歩(稲城) 丸鶏他厳選素材のスープ 自家製麺は歯ごたえあり。
 もっと沢山のお店に行っているのですが、印象に残っているものだけ書いてみました。
私自身は太麺より細麺、食べた後にお水ばかり飲みたくなるスープは苦手、という好みのため、選んだラーメン屋さんに偏りがあるかもしれません。食べに行った時の体調にもよりますが、こってりしすぎると「もういいや」と思ってしまいます。
 ラーメンは語るととても深いらしく、私のような素人が何を書いていいのかわかりませんが、お店の人がとても丁寧に作っている姿をみていると、「ラーメンがこの人の人生なんだな」と真摯な気持ちになります。ラーメンは気軽な食べ物だけれど、作り手も食べ手も楽しめるところが、国民的感心事にまで発展(?)した理由でしょうか。でも、高級品ぽく値段が高くなると「でもラーメンでしょ」と言いたくなるときもあります。
最後に、"こまちゅ"の後輩のお店「高はし」(飯田橋)もお奨めです。<encha>
注)スープの元は『多摩のラーメン感動の100店』(けやき出版)から抜粋しました。


ケータイを携帯する<2003.10.22>

 9月始めにようやく携帯電話(ケータイ)を買いました。今どきめずらしい「ケータイ不携帯」だったのですが、ようやく契約。う〜ん、ケータイは便利でもあり嫌いでもあり。
◎便利さ(1)出先での待ち合わせには断然有効。「遅れる」「場所がわからない」等々、その場で解決できる。便利さ(2)ケータイメールをしている知人が多く、メル友が広がった。(でも私はパソコンメールの方が好き。入力も断然速い!)
◎面倒(1)メール受信の音に気が付かないと、即座に対応できず「ケータイメール」の意味をなさない。 面倒(2)あまり急ぎでない電話もかかってくる。 面倒(3)電話料金(基本料金)がかかる。
◎違和感(1)誰かと一緒にいて、その人にケータイがかかってくると、自分の手持ち無沙汰感が嫌い。(会話を遮られた感じや、人の話を聞いてはいけないような気分。)今後は自分がその原因を作ってしまう。 違和感(2)ケータイメールは「同時進行、会話のように」が基本。でも、つい相手に失礼のないように言葉を選び、文として丁寧に書こうとしてしまう。(敬語はすたれる?)必死で返信メールを推敲している姿をみて、"こまちゅ"が「返事にそんなに時間がかかっていたらダメだよ」とチェックがはいる。
 ケータイの出現で「待ち合わせ時間を守ろう」という人は減り、「時間どおりに行動できない人」が増加する可能性もある。「ケータイ依存症」になる人も増え、新たな問題も・・・。などとテレビでも聴きます。悪影響が取り沙汰されるのも普及率の高さ故でしょう。(昔はテレビも悪影響のもと(?)だった。)人間は、便利な機器にどんどん慣れていってしまい、すごい適応力の持ち主。でも動物的能力・思考力はやはり退化していきそうで、少し怖いです。「ケータイがないと生きていけない」人が増えるのは困る気もします。<encha>


火星観測<2003.9.10>

 今年は火星が地球に最接近する年だそうで、8月末から「火星を観よう」と思っていたのですが、お天気はなかなか晴れず、9月5日にようやく家から眺めることが出来ました。肉眼でもはっきり見え、子どもたちは大喜び。「火星だ〜。観えるんだねぇ。」「すごい!すごい!」。あ〜やっぱり、TVニュースで「火星が見えます」と言われて画面を観るのと、実際に自分の目で観るのとは、感動も実感も全然違います。「でも月より小さいね」「火星の方が遠くにあるからだよ」「なんか、ゆらゆらしてる」「光が大気に当たって動いて見えるんだよ」なんていう会話も楽しい。
 9月9日には、月と火星が大接近するとニュースで聞き、またまた、盛り上がって空を眺めました。夕方暗くなるまで外で遊んでいた息子は、「今日は天気いいよ〜。月が見える!」としっかり夜空をチェック。夜はベランダでスケッチするというので、期待していたら、息子は月の「丸」と火星の「点」を描いて終わり(^^ゞ。娘は月の中にウサギの顔、その下に月を見ている自分を描いていました。
 火星は他の星より、人間が住める可能性が高いとか。いまや、月や火星の土地を買うこともできるらしい。(1エーカー(1200坪)3,000円ルナエンバシージャパン)。日本人も何人も宇宙飛行士になっているし、子どもたちが生きているうちには、宇宙旅行も可能になるかも。などと、夢を描くのも楽しい火星大接近でした。
<encha>

携帯ゲーム機<2003.8.8>

 子どもが大きくなるにつれ、ゲームとの関わり方が親の頭痛のタネ。友だちも持っているからと5歳のときに携帯ゲーム機を買って以来、「1日30分しかやっちゃダメ」とケンカしては、長時間のゲームを禁止しています。「ゲーム脳」という言葉と共にゲームの悪影響を聞くにつけ、「できることならやってほしくない」親心。でも今年は映画の前売りチケットを買うともらえる「ポケモン」の新キャラクターを「ほしい」と大騒ぎ。そのデータをもらうには、新しいゲーム機を購入する必要もあるという、難題。
 パソコンも携帯電話も、技術の進歩が早く、新しい機能を使うには新しいハードを手に入れる必要があり、「全く!」と怒りの元。「ゲーム機よおまえもか!」子どもの玩具としては高額すぎる気がしてなりません。(でも、ゲーム機の本当のユーザーは10代後半から20代でしょうか)。
 "こまちゅ"の反対を押し切って、毎日毎日「買って」のセリフに閉口した母が、「泳げるようになる」ことを条件にゲームを購入。ゲーム欲しさか、顔を水につけるのも怖がっていた息子も、なんとか5mは進めるようになりました。(唯一のプラス効果)。新しいゲーム機は、充電機能と画面の明るさが売り。確かに3年前のものと比べると、見易さが格段に向上していました。パソコンを仕事にしている身には、実はこの技術の進歩が好き。"こまちゅ"に「本当はお前がほしかったんだ。」と言われたのも、当たらずとも遠からず。・・・でも、高いし、子どもには長時間やってほしくないことに、かわりはないです。
<encha>



笹の葉さらさら<2003.7.11>

 今年の七夕も、雨で天の川はみられませんでした。やはり、梅雨の季節の七夕では晴れる確立が低く、この日ばかりは旧暦の季節感が正しいことを実感します。
 七夕の願い事に何を書くか、4歳の娘には重大感心事。一番に「セーラームーンになれますように」と書くと、兄や母に「何になりたいの?」と聞いてきます。兄はさすがにキャラクターへの憧れはなくなり、現実的。学校では「テレビ局に入れますように。」(何が目的だろう?と聞きましたが、照れて詳しくは語らない。つい先日は「野球選手になりたい」と何かに書いていたのに。)学童では「戦争がなくなりますように」と先生のご指導(?)のもと、願いを書いてきたようです。「ママは大きくなったら何になりたいの?」と聞かれ、自分に「大きくなったらなりたいもの」があるだろうかと考えてしまいました。自分の未来・・・って大人になるとなかなか描けないものですね。
 世相を反映してか「世界平和」という言葉の意味も、今までよりずっしり重みを持って聞こえます。昨今の10代の犯罪を聞くと、「社会の健全性」についても、もっと大人として考えなければと、深刻に受け止めています。子どもたちが明るい未来を描けるような社会を築くこと、そのために自分に何ができるか、親としても一人の大人としても考えていきたいことです。
 娘の連日の質問攻撃に「本を作る人になりたい」(編集者の意味)と答えると、「図書館の人ってこと」と解釈されました。まっいっかと、そのままにしてあります。みんなの願いが空に上って、かなえられますように。<encha>


フォントが消える<2003.6.2>

 先週、仕事先のパソコンのフォントがどんどん少なくなる現象がおきました。フォントとは文字の字体のことで、このHPでも「MSゴシック体」とか「DFPOP体」などを使用しています。最初は、以前に作った文書を表示するのに「変だな」と感じ、そのうち使えるフォントがMSゴシックのみとなってしまいました。これでは、仕事にならないとあれこれ調べ、雑誌にあったトラブル対処法の「フォントキャッシュファイルを削除する」という処理までしてみましたが、それでも×。結局メーカーサポートデスクに電話をして解決しました。(結局フォントキャッシュが原因だったのですが、単純に削除ではなかった。)
 この出来事の2日後に新聞に全く同じ状況になったコラムが掲載されていました。「文字の消える病」(加藤治郎:歌人)と題したもの。歌人だけあって文字(表示される字体)にはごだわりがあります。『見た目に硬いゴシック体では、とても短歌など創る雰囲気にはならない。(略)   行書体消えて明朝体消えて目玉の痛む五七五七七  (略)』
思わず「同感!同感!」と仲間のような気分。たかが文字といえども、表示される文字が明朝体とゴシック体では雰囲気もかわり、日ごろはそれを利用して見やすいHPや書面を作っているのです。『日本語の文字が全部消えたらどうなる。創作の場が壊滅してしまうではないか』(前出)本当にそのとおり。パソコンは、時々こうして病気になるので、使っている私たちはドキドキです。
 蛇足ですが、会社からメーカーサポートに電話をすると、延々と「このままお待ちください。一度切ってしまうと、順番が一番最後になります。」というテープが流れ、15分近く待ちました。その間、受話器を肩に載せたまま、他の仕事ができるほど。サポート電話がつながりにくいというウワサを実感した時間でした。<encha>


美容院に行った後は<2003.5.1>

 美容院に行った後、「髪切ったの?」とか「髪型かえたね」とは、女性のほとんどが言われたいと思っているのではないでしょうか。歳を重ねても髪型は一番の関心ごと。でも、気づかない夫が多くて妻は不満といった話もよく聞きます。
 先日の休日、妻「美容院行ってくるから」夫「じゃあ、子どもたち連れて出掛けてくる」と"こまちゅ"も子どもとともに外出。2時間ほどして自分が先に帰宅し、その後帰ってきた"こまちゅ"が一言、「美容院行って来たの?」
 その日は、5センチほど髪の毛をカットしたので、自分では「少し切りすぎたかな。なんか、今までと違うな」と思っていたにもかかわらず、この"こまちゅ"のセリフ。内心「なんでこんなに短くなっているのに、そういうセリフを言えるのかな〜。」と憤まん。日ごろから妻の容貌に気を配る人ではないので、特別なセリフを期待するわけではないのですが、「行って来たの?」はないでしょうって感じです。だめ押しで、娘に「ママ髪型かわった?」と聞くと、首をかしげて「わかんない」と言われ、更にショック。やはり家族なんてこんなものか〜。妻は、母は、顔があればいいのね。シクシク(T_T)
 ちなみに、その後会った知人(女性)には「髪、切ったねぇ」とすぐに声を掛けられました。世の中マメな男性もいるでしょうが、自分の周りには社交辞令にも「髪型かえたね」なんて声をかけてくれる人種が少なく、なんだか、損をしている気分です。せめて、周りの知人が髪型をかえた時は、気づいてあげようと誓った一日でした。<encha>


さくらを眺める<2003.4.6>

 前日の花あらしのごとくの雨降りから一夜あけて晴天。絶好のお花見日和となりました。今年は近くの遊園地へお花見に。ゴンドラで上から眺めようと思っていたのですが、春のあらし「強風」のため運行中止。よって、山道(遊歩道)を登りました。満開の桜の下を歩くのは、やはり気分がいい。娘と「桜満開だね」「きれいだね」と話しながら歩くのは楽しいものでした。
 花見といってもやはり遊園地。ひとしきり乗り物に夢中。春休み最後の日曜日とあって順番待ちの長蛇の列。でも、桜が咲いている分、気分は晴れやか。疲れると、お待ちかねのお弁当。(といっても、例年のごとくおにぎり・やきそば程度。)まあ、中身はとにかく外で桜を眺めながらシートに座って食べる。これがお花見の醍醐味です。
 私の実家のある町は、桜の名所と呼ばれている場所。小さい頃から花見には昼間2〜3回、夜桜1〜2回は行っていたほどの花見好き。といっても、「花より団子」子どもの頃は花の下で食べる田楽やおでん、出店で買うおもちゃがお楽しみでした。大人になると、そうそう何回も行くことはなくなりましたが、満開の桜が重なるように咲きそろう様は、目に焼きついています。
 桜が咲くと必ず思い出す、学生の頃に出会った「岡本かの子」の短歌は強烈な印象でした。
     桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけてわが眺めたり
短歌に詳しくないのでどんな解釈があるのか全て知っている訳ではありませんが、この歌を紹介してくれた先生が「桜を眺めるのにも命をかけようとする かの子の生き方はすごい。」というような意味の説明をされ、「それはすごいよなあ」と同感したものです。桜には、人それぞれのながめ方があり、魅力が深いことをいつも思います。
 遊園地の最後に観覧車に乗って上から桜を眺めました。桜のじゅうたん?、一幅の錦絵?いろいろな言葉を浮かべてみたけれど、桜の間からみえる遊園地の乗り物と人波が「21世紀」(?)という印象になってしまいました。桜は下から見上げるべきものかも。<encha>
注)岡本かの子(1889生47歳で他界)「老妓抄」「かの子繚乱」などの作者。芸術家岡本太郎の母。


娘の結婚相手<2003.3.3>

 娘が保育園でお店屋さんごっこをして、指輪を買ってきました。「はい、ママにプレゼント。一つはおじいちゃんに。」「おじいちゃんにあげるの?」「そうだよ〜。はるひはおじいちゃんと結婚するから、おじいちゃんに結婚指輪。」と得意気。
 最近4歳になった娘は、お友だちが「○○ちゃんとけっこんする」と言っているのを聞いて、まず「はるひはママと結婚する」と言っていました。ありがたや。毎日しかり続けている母でも、母親の役得です。でも「ママは女の子だから結婚できないんだって〜」と教えてもらい、次は父かと思いきや、「パパはおならがくさいからやだ!。だいち(兄)はケンカするからやだ。」と身近な男子が消えていきます。「クラスのお友だちは?」と聞くと「ダメ。だって、たたかいゴッコばっかりしてるもん」とこちらもシビアな目で観ている様子。そこで本人が思いついたのが田舎のおじいちゃん。たまにしか会えないおじいちゃんは、やさしくて、おもちゃも買ってくれる素敵なナイト。子どもって正直!
 さっそく、田舎へ電話して「はるひ、おじいちゃんとけっこんするから、今日、おみせやさんごっこで、指輪を買ってきた。」と報告。喜ぶ祖父の顔が目に浮かぶ会話でした。
 今のサラリーマンの父親は、ある意味かわいそう。朝早くから夜遅くまで働いていても、その姿が子どもには見えにくい。たまに買ってくるケーキも、今の子どもには当たり前のおやつ過ぎて、感動も少なめ。貴重な休みに子どもと遊んでも、それはそれで「当然」と思われている様子。女の子にとっては、母親ほど無条件で甘えられる存在でもないらしい。
 さてさて、娘もいつまでおじいちゃんと言っているか・・・。きっとそのうち「○○くん」とかテレビのアイドルの名前を言うことでしょう。成長が楽しみでもあり、今が一番「親得」の時期と思うと、貴重な時期だなと感じます。なのに、相対評価が上がらない父親って、気の毒?<encha>


インフルエンザと登校許可証<2003.2.15>

 もう、2月の中旬ですね。こんなに、更新をサボったことはないのではと反省。なんと、今年はインフルエンザの当たり年。1月13日から1週間家族4人でインフルエンザA型に感染してしまいました。一番長引いた長女が治ったのが1月22日。やれやれ、これで普通の生活に戻ったと思ったのも束の間、2月10日から長男がB型に感染。なんでこうなるの?です。1月は自分の発病中と長女の登園停止中は、会社は欠勤。でも今回は、熱が下がった長男に留守番させて1〜2時間出勤。更にメールで会社から資料を送り、家でもお仕事。ちょうど、忙しい時期なのでした。
 ところで、インフルエンザは出席停止となり、学校へ行くには病気が治ったことを証明する「登校許可証」が必要。インフルエンザは特効薬を飲むと、熱は2日で下がりその後は比較的元気。この状態なら学校へ行ってくれ〜という感じ。なんで熱が下がってから2日も療養しなければならないの?感染力があるの?と疑問に思い、病院の先生に聞いたところ、「文部省が決めたことだからね。感染力は、あるんじゃないの〜」と気のない返事。この決め事、特効薬がない時代に決めたことでしょ?インフルエンザも薬を飲まずに1週間以上寝込んでいるのと、2日で済むのとは、その後の子どもの回復状態も変わるというもの。杓子定規に熱が下がってから2日は絶対ダメと決めないでほしい気がするのですが、これは素人考えなのでしょうか。
 そうそう、1月のインフルエンザ騒動の中、このHPのトップページデザインを変えてしまいました。「転んでもただでは起きない?」。まとまった時間が必要なデザイン変更は漠然とした希望だったのですが、インフルエンザの唯一の恩恵でした。(思いつきで直したので、これでいいのかどうかは今後ゆっくり考えます。)<encha>
        ついでに、お仕事で関わっているHPの紹介  http://www.mspo.jp/
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