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書く<2001.12.28> 今年も残すところあとわずか。年賀状を慌てて書いていました。年賀状もここ1〜2年で様変わりして、パソコンで作って印刷したものが増えました。自分が出すものを振り返ってみると、独身時代まではすべて手書き。裏の絵も1枚1枚書いていたような気がします。簡単なイモバンを使ったときもありました。結婚とともに一挙に枚数が増えて「プリントごっご」を購入。原稿を作ったら後はペッたんペッたん押していました。「プリントごっこ」も進化して、高度なものを作れたようですが、我が家は1回刷りの単純なものばかり。友人から送られてくる見事な絵柄やアイデアが楽しみでもありました。 この3年は、パソコン。写真を組み入れて1回で印刷できるのでとても便利。でも、プリントごっこの素朴な雰囲気も忘れがたく、半分はプリントごっこで作成しています。 パソコンで作ってプリンターで印刷すると、とてもきれい。当然ながら皆同じものができます。それが目的のはずなのに、印刷物とかわらないので、なにか物足りない。プリントごっこも同じものですが、押す強さやインクの残量で微妙に違うものができるのが、版画的で、まだ手作りの感じがするのです。 年賀状は新年の挨拶をするものですが、ある意味作品を鑑賞してもらうために送っている部分もあり、つい何パターンもつくり、自己満足に浸り、肝心の宛名書きがおろそかに。自分の年賀状は手書きで宛名を書くものの、“こまちゅ”の分はこれまたパソコンのお世話になっています。パソコンを使い出してから、漢字が思い出せず、「あれ以前はすぐに書けたのに」と戸惑うことしばし。1年に1回ぐらいは気持ちを込めて友人・知人の名前を書こうと思っているものの、だんだん便利さに洗脳されそうです。もちろん「便利でいいじゃない」という声も「そのとおり」と思うのですが。(私の頭が古いのか。)道具はなににせよ、やはり、「心」を忘れないようにしたいと思う年賀状書きです。皆様よいお年を。<encha> |
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主役は誰でしょう。七五三<2001.11.23> 長男満五歳、長女数え三歳で、今年は七五三を祝う年。といっても昨年、長男の七五三を数え五歳で、すこぶる簡素に行っています。その時、知り合いにリサーチした情報により、結構みな子どもに袴や着物を着せて、お参りはもちろん、写真館での写真撮影もしていること、神社は、地元派・大きな神社派に分かれていることなどを知りました。更に、写真を撮るのは11月は料金が高くなること、土日祭日は早々に予約が埋まることなども聞き、結局9月下旬の平日に前撮りをしたのでした。 子どもの袴・着物姿はとてもかわいく、これでお参りにいったら絵になるなあと思うものの、子どもは20分も着ていれば飽き飽き。お参り用の着物レンタルはあきらめ、参詣は洋装で11月に明治神宮へ。昨年、地元の神社へ行ったので、今年は大きな神社で七五三を楽しもうという、神様には怒られそうなミーハーな親。話には聞いていたものの、祈祷の受付所には、「いくらの場合はこのセットがつきます。」という4ランクの申し込み用紙があり、なんだかデパートで買い物をするような気分。それでも祈祷だけでなく巫女さんの神楽舞も見られるので、いかにも「『晴れ』の日」の気分になれました。子どもは文房具と千歳飴をもらいニコニコ。祈祷の合間に「ここまで無事大きくなりました。これからも元気に大きくなりますようにってお願いしているんだよ。」と、“一応”七五三の意味を話し、無事一大行事は終了したのでした。 それにしても、七五三は親の虚栄心と、写真屋さんや貸し衣装のビジネスが合致しています。チラシにあおられたくないと思いながらも、本当は着せ替え人形さながら子どもに着せて見たかったのですが、そこまでイベント化したくないという自制心(ホントは出費したくない?!)が働き、写真屋さんのコースの中では一番シンプルなものにしました。結婚式はハデ婚とジミ婚とに傾向が分かれてきたようですが、七五三はこれからしばらくは“ハデ七五三”が主流になりそうです。これも少子化の影響でしょうか。<encha> |
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父親の椅子<2001.10.11> “こまちゅ”が「椅子」を買いました。それも、狭い我が家には不似合いなリクライニング機能つきの大きい椅子です。オットマンまでついています。もともと我が家にはソファがなく、家具調コタツに座椅子と座布団の生活。すぐ横にダイニングテーブルがあるという和洋折衷ゴチャゴチャした部屋です。そこに、で〜んとパーソナルチェアです。インテリアからいったら、目の上のたんこぶみたいです。 それでも、いつも仕事で疲れている“こまちゅ”が家でくつろげる場所がほしいの一念で買った椅子なので、“こまちゅ”がいる時はもちろん、そこに座っています。しかし、その上にはたいてい子どもがよじ登ってきて、「親亀の上に小亀が乗って」の状態。そして、“こまちゅ”がいないときは、子どもたちの遊び場と化しているのでした。一人が座ると大抵もう一人も座りたがるので、ケンカの素。それでも最近は、二人一緒に窮屈そうに座ってテレビをみています。どうみても、“こまちゅ”より子どもたちのほうが椅子に座っている時間が長そう。 それでも、「父親の椅子」がきてから、子どもが「パパだけずる〜い。」と言いました。世間では「父親の威厳喪失」が叫ばれている今、我が家ではささやかな「威厳の象徴」的な椅子の存在です。子どもは父親の“えらさ”を感じ取ることができるでしょうか。<encha> |
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今年の夏は・・・&テロ<2001.9.23> HPの更新をさぼっているうちに秋になってしまいました。今年の夏は猛暑で7月は夏バテ、8月になって「今日の気温33℃」と言われてホッとしたのを思い出します。夏休みに1週間帰省して、帰ってくれば仕事に追われ、気がつけば9月下旬とは。いつも「なにかしている」はずなのに、振り返ると「なにもしない」で日々を送ってしまったような焦燥感があります。誰かのコラムに「この猛暑がどれだけ、人の生産効率を下げていることか。」というようなコメントがありましたが、本当に普段の6割ぐらいしか力がでない気がしました。どこかの国のように1ヶ月間会社は休み、サマーバカンスという習慣にならないものでしょうか?あっ!でも、今のグローバル化が進んだ世界では、「24時間戦えますか」さながら、夏の時期が同じ国同士でなければ、グローバルな会社は休みにできないのですね。 ところで、先日起きたアメリカの同時多発テロには驚きました。民間機をミサイル代わりにビルに突っ込むなんて、同じ人間が考えることとは思えません。それでも、世界は広く、人々の思想や信念は千差万別あって、そうしたテロ行為でさえ支持する人々がいるというのにも、2度びっくりです。ある意味「平和ボケ」している自分にも、「戦争」という2文字が現実的なものとして頭をよぎること自体、恐怖としかいいようがありません。子どもが爆発の瞬間のテレビをみて「ウルトラマンみたい」とつぶやくのを聞くと、こんなふうに現実の悲劇を、映像という媒体を通してみせてしまっていていいのだろうかと疑問もわきます。戦闘機や爆発を「かっこいいもの」と思っている子どもに、現実には人が亡くなるし、いくら困ってもウルトラマン(平和的に解決してくれる決定打)は出てこないと教えるのは、悲しいことです。「目には目を」という解決法でしか自分たちの平和が守れない、という世界にはなってほしくないと願うばかりです。<encha> |
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梅雨があけました。<2001.7.11> 今年の梅雨は6月末以来雨が降らず、そのまま関東地方は梅雨があけてしまいました。変な天気です。梅雨の季節はジメジメするので、もっとも嫌いな季節で、その「ジメジメ」が短いというのは私的にはうれしいはずなのですが、こうも、真夏日が続くと、この先日本の気象はどうなってしまうのだろうと心配になります。 ところで、梅雨のあけた日はアメリカの大リーグでイチロー選手と佐々木選手がオールスター戦に出場し、それぞれ活躍されました。すごいですね。以前は日米の野球にものすごく差があると伝えられていたのに、今では何人もの日本人選手が活躍して、更に、米チームの中でも優れた成果をあげているというのは驚きです。各選手の頑張りもあるのでしょうが、今の世の中、産業もスポーツも国単位ではなく世界が舞台なんだなあと実感します。 大リーグでの日本人選手の活躍によって、日本のプロ野球への関心は確実に低下しているようです。観る方からしたら、より高いレベルの試合に関心がいってしまうのは仕方ないかもしれません。でも、大リーグの話を聞く機会が増えるにつれ、ファンを大切にする姿勢やチャリティーへ寄せる関心度など、日本とアメリカチームの運営の仕方の違いなどを感じます。サッカーもそうですが、やはりホームタウンから支持を得て、熱烈に応援されているチームは元気があるような気がします。各選手が高度な技を競い合うのはもちろんですが、チームにどれくらい親しみを持てるかが、そのスポーツの隆盛に関わってくる時代なんでしょう。選手に出身国のボーダーが消えてくる傾向の中で、チームは一層地元密着化してくるものなのかもしれません。 なにはともあれ、今年のこの長くて暑くなりそうな夏を乗り切るには、スカッとした試合を観ながらビールでも飲んでストレスを発散させる必要がありそうです。野球でもサッカーでも、暑さを忘れる試合が数多く観られますように。<encha> |
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ケガの功名になるか<2001.5.20> 先々日、子どもが自転車に乗っていて、3才の女の子とぶつかりケガをさせてしまいました。幸い、ケガはたいしたことはなかったものの、頭部から血が出ていたこともあり、とても心配しました。実は、ぶつかった当時、子どもだけで遊ばせていたので状況はよくわからないのですが、息子の話を聞くと、バランスを取ろうと必死で自転車に乗っていて、3才児を避け切れなかったようです。 この件で考えたこと。その1:まだ、バランスがちゃんと取れない子どもだけで遊ばせておいた親の責任を反省。その2:子どもが他人にケガをさせてしまった場合の心配の度合いは、自分の子どもがケガをしたのとは違うものの、ものすごく心配な上に気をもむ。その3:いつまでも親の目の届くところでばかり遊ばせておけないのはわかっているものの、子どもを一人で出すということは、親として子どもを信頼しないとできないことだと実感。というのも、この事故以来、子どもに一人で自転車に乗ることを禁止してしまった。 話は飛躍してしまうのですが、最近ニュースで少年犯罪などの話を耳にするたびに、この子の親は今どんな気持ちだろうと考えてしまいます。「わざと」ではない事故でも加害者になった子どもを持ったら、親としては気が気ではないと思えるからです。「子を持って知る親の心」ですよね。 親としてはいろいろ考えることの多かった一件ですが、子どもは「親の心子知らず」で自転車を乗り回しています。それにしても、事故当時、息子が家に泣きながら飛び込んできて、「○○ちゃんをひいちゃった〜!」と言ったときの驚きは忘れられません。将来、「お願いだから車の事故を起こさないでね。」と願う母です。<encha> |
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桜満開<2001.4.1> 今年は桜の開花が早く、この辺では日曜日には満開でした。前日は雨の降る花冷えの1日だったのですが、日曜日はいい天気。朝に思いついて、お花見ピクニックへ行くことに。といっても、お弁当のおかずを用意してあるわけでもなし。冷蔵庫を開けて、持っていけそうなものをピックアップ。主食はやきそば!冷凍のチキンナゲットにコロッケ。サラダにきゅうりのスティック。密封のとうもうろこしもありました。これもっ。おやつのお菓子とお茶、そうそう花見といえばビールもね。と15分で用意して一家総出自転車で近くの川沿いのお花見スポットへ行きました。 やっぱりいいお天気だもの、いるんですねお花見客が。それにみんな本格的。あちらこちらから焼肉やバーベキューの匂いが漂ってきていました。桜は本当に観ごろ。枝振りのいい木の下にビニールシートを敷いて、即席弁当を広げれば、気分はお花見宴会気分。早々にお弁当を食べ終わった子どもは、自転車を乗り回したり、土手を滑り台代わりにすべるすべる。お尻は草と土でどろどろ。まあ、今日は大目にみましょう。大人は桜の下で昼寝。これぞ「日本の春の一日」といった感じの穏やかな休日でした。 桜を眺めていると、昔学校で習った短歌や俳句が頭に浮かんできます。(子どもの頃は無意味だと思っていた暗記も、年を取ると役に立っているものですね。)「世の中に絶えて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」(在原業平)は、超有名ですが、今日の気分は「はるのうみ ひねもすのたりのたりかな」(与謝蕪村・・だと思う)。海はなくても、桜の海が広がって、こんな気分が味わえました。<encha> |
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雛人形<2001.2.25>
もうすぐひな祭です。娘のためといいながら、お雛様を出して飾るのは気分がいいものです。自分は、三姉妹の三番目。子どもの頃、自分のお雛様はありませんでした。物心ついた時には40センチぐらいの赤いワンピースを着たお人形(リカちゃん人形を大きくしたスタイル、丸顔で髪はアップ)が、自分の雛人形だと教えられました。長姉の5段飾りの雛人形はもちろん、二番目の姉のゴージャスなフランス人形もうらやましくて、なんで自分はこの子だけなんだろうと思った時期もありました。 |
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宝の持ちぐされ<2001.1.12>
新世紀あけましておめでとうございます。お正月ぼけが治る前に雪が降り積もり、子どもは大喜びでも、大人はちょっと迷惑顔。そんな歳初めでした。 |