ホノルルマラソン日記 | 涙と笑いのマラソン&応援体験談 | 暇な人は読んでね |
ホノルルマラソン日記とは、「エンステ」メンバーが初参加したマラソンと、
そのマラソンを子連れで応援した、悪戦苦闘の体験談。
【はじめに】
1996年12月8日(日)
わたしは、勤続10年のリフレッシュ休暇を利用して、第24回ホノルルマラソンに出場し、
奥さんと11カ月の息子の大知くんは、これの応援ツアーに参加しました。
当日の出来事を夫婦で「猿岩石日記」風に書きましたので、暇な人は読んで下さい。
*私は、今回の旅の行きの成田空港で、「猿岩石日記@」を購入し、飛行機内・ホテルで
読んでいました。誤字脱字についても「猿岩石日記」風です。あしからず。
「こんな文字」(太字)は、ぼく(T)の日記
「こんな文字」は、わたし(C)の日記 です。
尚、今回のホノルルマラソン出場に際しては、H社総務部の職場の皆さまには、
大変ご協力いただきました。厚く感謝申し上げます。
平成9年3月 筆者代表 T.K
ホノルルマラソンコース図
スタートまで3時間30分(1:30) 目覚ましが鳴る。起床
昨晩は、8:00ごろ寝たが、1時間おきにトイレに起きた。(「早く寝る為に飲んだ
ビールが効いたか?」であるが、実は私はトイレが近い。)でも、快眠快眠という感じ。
スタートまで3時間15分(1:45) 快便(大きい方)
スタートまで3時間(2:00) 朝食
バナナ2本と、カステラみたいなパンを朝食にとる。
(マラソン前の食事は、記録を狙う人で4時間前、完走目的の人で2時間〜3時間前が良く、
内容は消化がよく、腹もちのよい炭水化物がベストとされている。)
かみさんは、「マラソン応援ツアーに参加するが、まだ時間があるのでもう一度寝る」と言う。
そこで、目覚ましを再度3:30位でかけようとしたら、なぜか思うように動かなく、いきなり大き
な音で、鳴り始めた。二人で「やばいやばい大知(わたしの11カ月になる子ども)が起きる」と
目覚ましをいじっていたが止まらない。やっとボリュームの位置がわかり、
音量を下げたとき、大知はニコニコしながら、二人の行動を見ていた。
2:00 [プロローグ]
1:30に起きたT君はいつもの出勤時と同じようにシャワーを浴びた。昨日ABCストアで
買ったバナナとパンを食べている。私は自分が支度をするには早いと思い、「もう一度寝るから
目覚まし時計を3時半にセットして」とT君に頼む。
薄暗く、しんとした部屋に、けたたましく目覚ましベルがなる。「なに!なに!なに!」
ベットに備え付けられていた目覚まし時計は狂ったように鳴り響いている。
「ちょっと!大知が起きちゃうよ」不機嫌にT君に向かって叫ぶ。T君だって驚いて
必死で止めようとしているのがわかる。でも大知のことを考えると苛々が募るのだ。「早く
止めてよ!!」そのベルは今日一日の時間の長さと苦痛を象徴するように耳に響いていた。
そして、やっと音が止んだとき、大知は起き上がっていた。「このまま、起きていられたら
どうしよう」
スタートまで2時間45分(2:15) ホテル発、集合場所へ。
J社(旅行代理店)のツアー参加者のバスであるが、この朝の早いうちから(N部長なら
前日からまだ飲んでいる時間)、すごい人。すべて日本人。そういえば、前日のバスで日本
語ペラペラの運転手さんが、「12:00に集合だ。かなわん。マラソン走る人なら、スタート
地点まで、自分の足で行ってほしい。」と言っていたな〜。(スタート地点まで2KM位)
でも、私は絶対バスに乗る。無駄な体力を使いたくない。
スタートまで2時間30分(2:30) バス乗車、スタート地点へ。
バスの中では、私のような一人で参加の人は少なく、仲間といろいろ楽しそうに日本語で
話している。(ほとんど日本人なので、日本語は当たり前。これから、この「日本語で」
というところは略します。外国語を聞いた時だけ「……語で」と入れます。)
前の座席に座るおやじが言った「何でこんなに早く集合してバスに乗らなきゃいかんのか?
J社(旅行代理店)はおかしい」
私は、思った。「そんなに嫌なら歩いて行け」
私は、緊張で押し黙ったままだった。(別に、「話す相手がいなかっただけ」という説もある)
スタートまで2時間20分頃(2:40) スタート地点の「アラモアナ公園」着。
いるいる。日本人ばかり。なんか、日本語のDJが時々英語を入れて、盛り上げようと放
送している。「ここは、どこの国だ!」
*昨年のホノルルマラソン参加者は3万人強。今年は2万8千人位とのこと。そのうち7
〜8割りは日本人らしい。
2:20 部屋にて
T君が部屋を出た後、大知をもう一度寝かせる。幸いにも、夜中なのですぐにすやすやと
寝始める。自分も寝ようと思うが大人は眠れない。大知とともに応援をすることの不安が
頭をよぎる。「集合地アラモアナホテルへちゃんといけるのだろうか」日本の旅行会社の
お姉さんは「子供連れですからタクシーを呼べば」と言っていた。歩くと子連れの足では
30分はかかると言う。「5時前という早朝に本当にタクシーは来るのだろうか」
3:30 頭で考えても仕方がない。英会話集を片手にロビーへ向かう。
「Please call me a cab at a five o'clock.」日本語は話せないと言うフロントマンは、いくつかの
英単語の後「ノー」といって首を横に振る。タクシーは呼べないらしい。
どうしよう。
そうだ。ここでJ社(旅行代理店)から借りた携帯電話の出番だ。かけてみる。日本語で話
せる感動に浸りながら、タクシーの手配を頼む。しかし「マラソンのため交通規制が5時から
始まるのでタクシーは動けない」と言う。「それでは4:45ならどうですか」こちらは必死。
ようやく交渉が成立しタクシーが来てくれると言う。一安心して部屋へ戻る。
大知はすやすや眠っている。4:00には自分の身支度を整え、大知の一日分の食事と
おむつをリュックに詰め準備を整える。4:30大知は起きない。寝ているまま、おむつを
替え服を着替えさせる。
(2:40〜4:00) ものめずらしそうにフラフラ歩いたり、座ったり。
やることが無い。冷静になってまわりを見ると「ほっそりとした人ばかり」。私のような体形
の人は少ない。ちょっと不安になる。記念写真を撮るやつがやけに多い。「こいつら
これが目的だな〜」と思うとちょっと安心する。
いろんな衣装を着たやつらもいる。女性のサンタクロースは可愛くてよいが、トナカイの
着ぐるみを着た男は、いくら真っ赤なお鼻を付けても可愛くないし、これからこんな格好
で走るのかと思うと腹がたつ。あ!天使の羽根をつけた、すね毛が真っ黒な男もいた。
あ!………、いろんな格好をした人がいて書ききれません。
仮設トイレがいっぱいある。数百ぐらい。「終わったあとどうやって処理するんだろう」
緊張のせいかくだらんことが気になる。
バスが、どんどん着く。すごい人になってきた。
公園のいっかくで、エアロビクスが始まった。「茨城県ホノルルマラソンツアー」と書いた
幟をもった連中(30名位)が、インストラクターの先生の指導で準備体操を始めたのだ。
そのまわりで見ている人も、それに合わせて踊り始めた。広がる広がる、1千人以上が
踊っている。俺はこんなエアロビクスを見たのは、向ケ丘遊園で行なった会社の園遊会
以来だ。でも、その規模は、これの方がはるかに大きい。終わったとき、盛大な拍手に
なった。
スタートまで1時間(4:00)ジャージを脱ぎ大会事務局に服をあずける。
ランニングパンツとTシャツになった自分の姿がちょっと恥ずかしい。まわりの人を見る
と、いかにも走りそうな感じの人は何も持っていないが、完走のみを目的にしているよう
な私みたいな人は、みんなウエストポーチをしている。「う〜ん、何をみんな入れている
んだろう」気になる。
へそを出したユニフォームを着た、若い女性が目につく。「みんなスタイルがいい」気に
なる。
スタートまで40分(4:20)最後のトイレに行きスタート地点に移動。
スタートは、自分の目標タイムで、指定の場所に入る、前から@3時間以内、A3時間〜
4時間、B4時間〜5時間、C5時間〜6時間、D6時間以上。100M単位ぐらいだ。
(私の目標タイムは、7時間(10分弱/KM)を切ること。「最低でも8時間以内で走れれ
ばいい」と思っていた。)
どう見ても6時間以上の枠に入らなければいけないが、少しでも前に行きたい。ちょっと
すました顔をして、5時間〜6時間の人達の中に入った。みんなの「あの体形で?」という
目が怖いと思ったが、よく見るとみんなそんな事は気にしていない様子。自分の前を小学校
低学年ぐらいの子供の手を引いたおばさんが通り過ぎ、前の枠(5時間以内?)へ向かって
行った。
スタートまで20分(4:40) すごい人になってきた。
近くで同じスポーツジムのユニフォームを着た人達100人ぐらいが、輪になり歌を歌ったり、
手拍子したり、エールをかけあったりしている。いかにも、日本人っていう感じ。
外国の人が、ものめずらしそうに見ている。(しかし、よく考えてみるとここは米国、つまり外
国であり、日本人も外国人である)
大会関係者の挨拶等の放送が始まり、アメリカ国歌斉唱。う〜ん気持ちが盛り上がってきた。
スタートまで10分か5分?(4:50か4:55) 車椅子のレースがスタート。
スタートまでのカウントダウンが始まる。
ドキドキしてきた。早くスタート時間になれ!
4:40 ホテルのロビー
大知を抱き、リュックを背負い、ベビーカーを持ってロビーでタクシーを待つ。でも、
4:45タクシー来ない。4:50タクシー来ない。頻繁に時計を見る。
ホテルの外へ見に行く。タクシーいない。眠っていた大知は、うろうろする私の腕の中で目が
覚める。フロントマンはにこやかに見ている。日本語がわからない彼と英語が話せない私と
では会話がない。動き出した大知に時々視線を移すがそこまでだ。お掃除のおじさんがやって
きて彼と話をしている。
大知をロビーのソファに座らせ、もう一度J社(旅行代理店)へ電話する。担当者がタクシー
会社へ電話すると「すでに交通規制が始まっており、タクシーは動けない」という。
話が違う!すでに5時をまわっている。
スタート(5:00)
号砲とともに花火が上がった。すごい。みんな花火を見ている。写真をとっているやつも
いる。でも進まない?
少ししてやっと進みはじめた。でも走る速さではない。私も、花火を見ながら流れにのっ
て歩きはじめる。
スタートから7分経過(5:07) やっとスタートライン上にたどりついた。
やっと走れる状況になった。練習の時、「急に速い速度(自分にとって)で走るとつらく
なるので、だんだんスピードを上げて行こう」と思っていたが、そんな心配をすることは
無かった。
5:05 アラモアナホテルへ向かう[カリア・ロード]
歩くことにした。J社(旅行代理店)の担当者は「10分おきに電話しますから」という。
地図を片手にホテルを出る。
ここで一つ心配がある。私は”超”方向音痴だ。「駅から徒歩5分」という目的地へ行
くにも大抵15分かかる。地図を見ていても、東西南北を把握する能力に欠ける。
しかし、今は歩くしかない。地図をぐるぐる回しながら、自分の立っている場所を再三
確認し進む。「このスタートで方向を間違えたら終わりだ」不安を抱えたまま、大知の
乗ったベビーカーを押す。朝と言っても外は真っ暗。人通りもなく車もほとんど走っていない。
歩く道の両側は広い公園で裏寂しい。時々大知が不安そうに上を向く。「だいち〜、
頑張って歩こうね」大知に話しかけながら自分を励ます。外灯しか見えない道の向こうか
ら人影が近づく。「変な人だったらどうしよう。ハワイといっても外国に違いないし、治安が
どのくらいいいのか。」不安をよそに何事も起こらずその人とすれ違う。
携帯電話が鳴る。「今どの辺ですか?」どの辺と聞かれても、あまり良くわかっていない。
「道の両側、公園のような所です。」「まだ、ヒルトンホテルに着いていませんね。
ヒルトンに着いたら左に曲がってください」
「ヒルトン、ヒルトン」と唱えながら建物の表札を眺める。「この建物でいいんだ」とわかった
ときに、一安心。方向は間違っていなかったようだ。と同時に、人通りが賑やかな道路が
見え、今までの心細さから開放される。
スタートから20分頃(5:20) アラモアナ大通りを西へ。
調子がいい。気持ちいい。すこし風が気になるが、気温は暑くもなく寒くもなく、何より、
車の走らない車道を走れることは、気持ちのいいもんだ。自然にペースも上がってくるが、
最初にオーバーペースをやると後にひびく。(と言っても私のオーバーペースは、先頭集
団の2分の1以下のスピード)「じっくり行こう、じっくり行こう」と自分に言い聞かせる。
しかし、周りのペースは、遅い。道路にはみ出す程の人なので、斜めに走ったり・横に走った
りして、前の人を抜く。「こいつら、こんなペースで走るんだったらスタートの時は、
もっと後ろに並べ」と思い頭に来る。前の人を抜く話ばかりだが、もちろん、私を抜いていく
人も行く。そんな人に対しては、「こいつら、そんなにオーバーペースしてどうするんだ。
つぶれるぞ。最後に笑うのは俺だ!」とも思う。
調子がいいもんだから完全に自信過剰になっている。
おっと何か後ろの方から「カランコロン・カランコロン」という音がしてきた。振り返る
と、頭に鉢巻き、剣道着と袴を着て、なんと下駄をはいた男が、竹刀を持って走ってきた。
大和魂を見せようというところだろうか。周りの外人達は、大きな拍手。「しかしあいつ
は、本当にあの姿で42.195KMを走るのだろうか。それにしても、あの姿で結構早
く走れることは、うらやましい」
目の見えない人が私の前で、伴走者と一緒に走っている。黙々と同じペースで。浮ついた
ところが、まったく無くてちょっと感動。
5:20 [カラカウア通りからカピオラニ大通りへ]
ヒルトンを左に曲がるとその道路はすでにマラソンランナーが走り、沿道は応援者で
いっぱい。「もしかしてT君に会えるかも」とキョロキョロする。「白いTシャツ、中肉中背
(より太め?)」と目をこらすと「あっ!」。と思ったが違った。おじさんだ。T君は
30代前半なのに、おじさんと間違えるなんて妻として悲しい。(世間では、30代もおじさん
かもしれないが、自分と同世代なのでここでは敢えておじさんとは書かない)マラソン出場を
前に走り込み、やせてくれると期待したのに、体形は全く変化がない。
キョロキョロしながらも黙々とベビーカーを押す。歩道はランナーについて応援する人の
波なので、私は逆らって歩くことになる。ベビーカーが何度か人とぶつかりそうになる。
こういうとき、欧米人は大変親切だ。「OH!!」といいながらも、ベビーカーを守るように
よけてくれる。通りやすく道を開けてくれる。ハワイ滞在中、子供と歩いていて何度かこの
暖かい所作に出会った。日本人の中にももちろん親切な人はいるが、大抵は無関心を
装うか、ちょっと迷惑そうな表情をする。自分も無関心を装う方なのでしばし反省。
携帯電話が鳴る。「ランナーの走っている道を歩いています」「橋を渡ったらすぐのシグナ
ルを右折するとアラモアナホテルだから。」だいぶ集合場所へ近づいてきたようだ。
5:35 [横断]
右折しなければならない交差点へ来て立ち尽くす。目の前はランナー、ランナー、ラン
ナー。8メートル位ある道をどうやって渡ればいいのだろう。信号機は働いていない。警
官が立っている。一縷の望みを託して警官へ話しかけてみる。「Is
there ALA MOANA
HOTEL?」「Yes」あそこへ行きたいと身振りをしてみる。映画で「警官A」として出てきそうな
太めのお巡りさんが「ランナーがいなくなるまで無理だね」と言ったかどうかはわからないが、
それっぽい言葉と表情をする。絶望。
携帯電話が鳴る。「着きましたか」「今、ホテルの前の交差点まで来ているのですが、
ランナーがいるので渡れません。」電話の向こうで声が無くなる。集合時間の5時40分
は過ぎている。「とにかく渡ってみますので、集合場所の担当者には少し遅れると伝えて
ください。」
渡るしかないのだ。私は大知を抱いて斜めに突っ切ろうと決心する。警官にとがめられ
ては困ると思い交差点から少し離れた場所まで移動し、大知を抱く。大知は10Kg。抱え
ながら4Kgあるベビーカーを畳み肩にかけ、「えいっ」と一歩を踏み出す。左から次々と
ランナーが走ってくる。斜めに動く私はものすごい邪魔者だ。「こめんなさい」と心で叫
びながら進む。背の高い細身のランナーに接触しそうになる。「OH!!」飛び除けなが
ら「この人は何だろう」というような視線を投げ掛けていく。
川を渡りきったような疲労感に浸る暇もなく、大知をベビーカーに乗せ走る。ホテルに
着いた。携帯電話が鳴る。「着きました!ありがとうございました。」ゴールしたランナー
のような気持ちで答える。しかし、ツアーデスクの前で会った人は「バスは少し離れた
ところに止まっています」といい、休む暇もなく早歩きで後に続く。ホテルより更に5分以上
歩き、ようやくバスが見える。(この5分は結構辛かった。)
スタートから40分頃(5:40) S監督の教え
コースの一番西側を折り返しダウンタウンの町の中を走る。景色がいい。町はクリスマス
前でいろんなイルミネーションで飾られている。様々の色の電気で飾られた大きな大きな
ツリーの前で、記念撮影をするやつらもたくさんいる。(ランナーのポシェットと中身は
使い捨てカメラだった)
最初の給水所に来た。すごい数のコップが地面にころがっている。マラソンの案内のパン
フレットには、「特に初心者は、後半で脱水状態にならないように給水を最初から取るよ
うに」と書いてあった。全然のどは乾いていないが、必死で並んでコップを取る。しかし、
少し進むと、給水所は100Mぐらいにわたってあり、後ろの方は空いていることに気づく。
次回は、空いたところで取ろうと心に誓う。人は「別に心に誓うほどのことでは無い」と
言うかもしれないが、マラソンランナーの気持ちとはそんなもんだ。
余裕はあるがそろそろ歩く時間だ。
<解説>
私は、愛読する本『ゆっくり走れば早くなる』・・・H社陸上部故S監督
著・・・に書いてある、「初心者・練習不足の人のマラソンの走り方」を実践しようと心に
決めていた。それは、「25分走って5分歩く」その繰り返しを行うのだ。無理をすると必
ず後に来る。走る為の筋肉と歩く為の筋肉は違うから、歩きを途中で入れることにより、
休憩が出来る。また、この走り・歩きの繰返しを距離で行なうと、人は「早く休憩地点に
行きたい」と必ずオーバーペースになる。オーバーペースは禁物。私は、最初だけ「30
分走って5分歩く」その後は「25分走って5分歩く」どうしても疲れて来たらまずペー
スを落とし、それでもだめなら「走る時間を減らして行こう」と考えていた。
ついでに書くと、わたしは、このマラソンの招待選手として出場しているE.Aさん(故
S監督のご夫人)からもらった、S監督デザインのTシャツ(監督ご自身の似顔絵が
胸に入ったもの)を着て走っている。最後には、S監督が背中を押してくれるのではない
かと・・・・。
スタート時間から、走り始めるまで10分近く歩いたので、最初の1セット目の休憩が4
0分になった。余裕がある時に歩くということは焦る。先程抜かれた人に抜き返される。
時間がたつのが遅く感じる。でも歩く。S監督の教えのとおり。
スタートから1時間頃(6:00) 2度目の給水。
カラカウア通り、ワイキキのホテル街を走る。まだ気持ち良く走れている。沿道の応援者
(見物客)も多い。給水ポイントでは、落ち着いて空いたところで取り、コップに残った
水は頭からかけた。なんだかテレビに出てくるマラソンランナーみたいだ。(気温はまだ
あまり高くなく寒いので、そんなことをする必要は無いが、一度でいいからやってみた
かった)
6:00 バスの中
ふらふらになりながら、大知を抱きバスに乗り込む。後ろから乗り込んだ添乗員さんが、
落としたことも気づかずにいた大知の靴を渡してくれる。
バスはマラソンコースとは全く別の、オワフ島の反対側の道路を走り折り返し地点へ向
かう。外はまだ暗い。大知の朝食のためミルクを作り与え、パンを食べさせる。お腹が満
たされると、外の暗さとバスの振動のためか、大知は眠たそうにぐずる。大知を抱き揺す
りながら、大知とともに私も眠る。
気がつくと外は次第に明るくなってきている。海岸沿いを走り終え、折り返し地点が近
づいたようだ。「折り返し地点で応援して頂いた後、7:30、8:00、8:30と3
回帰りのバスが出ますので、そのどれかに乗ってください。」と説明がある。T君の予
想タイムでは折り返し地点を9時頃に通過することになる。8時30分まで待っていても
T君を見ることは出来ない。
スタートから1時間20分(6:20) カピオラニ公園に入る。
スタートから10KM地点であり、ゴール地点でもある(コース図参照)。うっすら明る
くなってきたが、これから、遠いところまで行って折り返して来ること、また初めての距
離(練習では10KMが最高)に入るかと思うと不安になる。しかし、ここまでは、最初
のロスを入れても目標以上のタイム。順調だ。
スタートから1時間45分頃(6:45) ダイヤモンドヘッドへの上り坂。
最初の難関、ダイヤモンドヘッドの上り坂に入った。短い距離の間に30Mを登る。ちょ
うど時間的に歩く時間となったので、歩いて上る。「無理をしないで歩いて上る。これは、
最後に生きてくるぞ。」と自分自身に納得する。反対車線を車椅子のランナーたちが通り
過ぎて行く。彼らにとっては、ゴールは近い。うらやましい。それ以上に、車椅子の下り
は、勝手に進むのでうらやましい。(逆に上りは大変なんだろうが・・・)
パンフレットには、「ダイヤモンドヘッドで見る日の出がすばらしい」と書いてあったが、
本日は、あいにくの曇り空。しかし、ほとんど昼間と同じ明るさになってきた。
ダイヤモンドヘッド通りも下りに入ると、なんとトップランナーたちが反対車線を帰って
きた。速い!黒人のランナーたちが、長い足・長いストライドで、坂を上る。民族の違い
を感じる。
スタートから2時間頃(7:00) 疲れを感じ始める。
ちょっとした公園に仮設トイレがあり、列を作って並ぶ人たちがいた。「女性が多いが、
男性も混じっている。」私は、4〜5KM付近のちょっとした広場で、あまり良くないが、
何人かの人にならい「立ちション」をした。こんな、並んで焦っていると思われる人たち
を見ると、ちょっとうれしい。「意地汚い性格をしている」と自分のことをつくづく思う。
ダイヤモンドヘッドの後もアップダウンが続いた。給水ポイントで水をとって飲んだ後、
突然足の動きが悪くなってきた。息も苦しい。初めて、決めた時間以外に歩いてしまった。
それでも、20KMまでは、なんとか頑張ろうと走りはじめた。坂が非常に気になり疲れ
を強く感じ始めた。
7:00 折り返し地点(ケアホレ通り)
バスから降りると、ものすごい風が吹いていた。気温も低い。応援する道路脇まで歩い
ただけで「もう帰りたい」心境になる。他の応援者は皆連れがあるが(おばさん同士が多
い)私は大知だけ、会話が出来ないのが寂しい。子連れは私だけで、話しかけてくれる人
もいない。
道路は次から次へとランナーが通り過ぎる。今ここを通る人は4時間位でゴールする人
たちだ。T君はまず来ないだろうと思いながらも、記念にランナーの写真を撮る。
沿道では知り合いが走って来ると「うぉー」という歓声が上がる。同じバスのおばさんた
ちのご主人だろうか。年齢は40代後半と思われるのに、この時間に通過するなんてすご
い。風が吹き付ける。半袖にパーカーしか着ていない大知は寒そうだ。止まっていた車を
風よけにしながらランナーに声援を送るが、寒さに弱い私は、「どうせT君は間に合わ
ないのだから、早めにバスに乗ろう」と7:30発で折り返し地点を後にする。(後で聞
くと、T君は8:30頃通過したとのこと。待っていれば会えたかもしれない。)
7:30 バスに乗ると、先程応援していたおばさんたちが乗っている。添乗員さんが
携帯電話で出発してもよいか確認している。どうやらもう一組み、乗るためにバスに向
かっているらしい。出発時間の30分を過ぎていたため先程のおばさんが「早く発車して
頂戴!もう時間過ぎているでしょう。早くゴール地点に行きたいのよ。」と叫ぶ。20代
半ばの女性添乗員さんはほんの少し迷惑そうな顔をしたまま、到着した参加者を案内して
バスに乗る。
あのおばさんはご主人が通り過ぎていったので、早くゴール地点へ行って出迎えたいの
だろう。気持ちはわかるが、そんなにきつく言わなくたっていいのに。添乗員さんは結構
平気な顔していたけど、やっぱりお客のわがままにはなれているのかなー。などと思いな
がら外を見る。交通規制の中、ランナーを見ながらバスは走れない。来た道を戻る。海岸
線は海がとてもきれい。でも応援するためにツアーに参加したはずなのに、沿道にいたの
は30分、ほとんど眠るためにバスに乗っていたようなものだ。じゃあ、あの今朝の苦労
は何だったのだろうと疑問がわく。
大知のおむつをバスの座席で立たせたまま替える。こういう時、はかせるオムツは便利。
大知はビスケットを食べると、再びぐずりながらも眠りに入る。
スタートから2時間40分頃(7:40) 20KM通過。
直線道路の「カラニアナオレハイウェイ」に入り、何とかここまで来たが、向かい風が苦
しい。突然のスコールも受けた。苦しい。これからは「15分〜20分走って5分歩こ
う」と思う。反対車線を折り返してくるランナーたちと続々すれ違う。彼らは、30KM
を過ぎている。うらやましい。しかし、自分のことを思うと、折り返し点にも遠く辛いが、
予定を大きく上回るペースでここまでこれた。(と言っても男子はもちろん、女子のトッ
プランナーもゴールしている時間)これからは、5KMを1時間で全部歩いても目標とす
る7時間前後でゴールしそうである。自分自身に「がんばれ、がんばれ」と声援を送る。
スタートから2時間50分(7:50) 中間点通過。
やっと中間点。20KM地点では、最低でも1セットで15分走ろうと思ったにもう歩い
ている。苦しい。特に向かい風が。道路の標識も風雨で曲がってしまっている。日立のコ
マーシャル(この〜木なんの木、気になる木〜)に出てくるような沿道の大きな木も、風
に吹かれている。例年であれば、日傘の役をするのであろうが、今日は、雨傘である。
反対車線の折り返しで帰るランナーたちが、ものすごい人数になってきた。「彼らは、追
い風でいいな〜」と思う。(しかし、かれらもこの向かい風は経験したはずだ)
スタートから3時間30分(8:30)
中間点から25KM地点までは歩いたり走ったり。しかし確実に歩いている時間の方が長
くなってきた。折り返しの周遊道路に入ったがこれも半分過ぎれば追い風になる。「それ
までは無駄な体力を使わない為に歩こう。」と開き直ってきた。
道路の脇には、足を痛めて走れなくなった人が多くなってきた。彼らは、屈伸運動をした
り、座って自分の足をマッサージしている。しかし、彼らに同情している余裕は無い。
ところで、私の練習は約3カ月前から。ホノルル行きを決意して、練習を始めた3カ月前
は100Mを走るのもしんどかった。しかし、練習をしているうちにだんだん距離も長く
走れるようになってきたが、週2回程度の練習ではたかが知れている。10KMが最高だ
った。
「あ〜練習不足」つらくなればなるほど感じる。
そういえば、1カ月前、当社の元陸上部の同僚であるO氏に「そろそろ調整にはいらねば
……」と言ったら、「そりゃ〜Kさん、もともと走っている人が調整なんてやるんですよ。
今からでもいいからもっと走ったほうかいいですよ。まだ本気でマラソン走るつもりなん
ですか?」と言われた。
同じ元陸上部のK氏も横で、うなずいていた。
もっともなことである。
しばらくして(後から思えば「しばらく」だが、走っている、いや歩いている最中は、すごく
長く感じる)ほぼ周遊道路を半分周り、追い風になった。走り始めたが、体が動かない。
5分走って歩き始めた。ここで、もう考えは決まった。「これからは、ゴールまで帰るだけ
だ。基本は歩き。余裕があったら走る。」
8:30 ゴール地点到着
カピオラニ公園付近でバスは止まり、降りる。「J社(旅行代理店)のテントはどこです
か」と誰かが添乗員に質問したが、「知らないんです」と言う声が聞こえる。なんなんだ、
このツアーは。もうこれでオプショナルツアーとしての日程が終わり解散だなんて。これ
だったら、自分だけで最初から公園で待っていたほうがよかったかもしれない。早くも今
日一日の後悔が始まる。
とりあえずJ社(旅行代理店)テントを探す。同じバスに乗っていた人はすでに見失い、
添乗員さんもどこかへ駆けていってしまった。大知をベビーカーに乗せ、歩く。眠りを妨
げられた大知は、ぼーっとした顔のまま「僕はどこに来たんだろう」とでも言いたそうだ。
とても広い公園で、あちらこちらにテントがある。日本のツアー会社のものばかりだ。
2万人近くが日本人だから無理もない。J社(旅行代理店)の旗を持った係員があちこち
に立っている。
この人に聞けばいいのだろうと思いながらも、一人で探し歩く。バスを降りた地点から
もっとも遠い公園の端に、大きなテントはあった。
公園にあるテントの中でも最大級のテント。敷地内に放送デスク、食べ物配布コーナー、
休憩所、マッサージゾーンがある。すでにマラソンを終えた人が休んでいる。4時間以内
で走る人も大勢いるんだなあ。横目でみながら、食べ物コーナーをのぞく。人のよさそう
なおばちゃんが「おにぎりをどうぞ」と優しく声をかけてくれる。
大知の昼食用にと思いバナナももらう。ゴザに座ってひと休み。まだ9時だ。T君の予
想タイム12時まで3時間。長いなあとため息がでる。しばらくおとなしかった大知がぐずり
出した。大知も疲れただろう。でもお母さんはもっと疲れた。
9:30 観戦
テントの中で大知に騒がれると他人の目が怖いので、又ベビーカーに大知を乗せ、公園
を歩く。ランナーが通るゴール付近へ行ってみる。続々と人が走って来る。応援の人垣も
二重になっていて、ベビーカーの大知は人々の足の中に埋まっている。ここでも日本人に
比べ欧米人の応援は暖かいように思える。誰にでも惜しみない励ましの声を送っている。
大きな声で休みなく応援している姿は、それだけでも感動する。私も「頑張れー」と声に
出してみる。でも何となく恥ずかしい。誰に向かって言っているのだろうという視線を感じる
ような気がする。自分も気持ちが今一つ入らない。不特定多数を応援するのは意外に
難しい。私にはボランティア精神があまりないのかもしれない。
日本語で書かれた旗を持って走っている人たちが通過した。歓声がわく。派手な道具を
使ってパフォーマンスをするのは日本人が多い。他の国の人は、シンプルな体で、声や動
作を使って自分をアピールしている。派手な道具は目を引くけれど、日本人として少し恥
ずかしい。
足の間に埋もれていた大知がぐずり出す。しばらく抱っこして応援するが重さに耐えら
れない。抱かれていても大知は不機嫌に「あああーーーっ」と大声を出す。隣で応援して
いる金髪のお姉さんが振り向く。にこっと大知を見てあやしてくれるが、すぐ又ランナー
へ目を戻す。応援者の邪魔になると思い、その場を離れる。
スタートから4時間20分(9:40) 30KM通過。
だいぶ長い時間歩いたら余裕が出てきた。追い風でもあるし、遅いペースであるが10分
位づつなら走れそうだ。帰りの道路に入り、まだ反対車線を折り返しに向かっているラン
ナー(歩きっぱなしのこの人たちをランナーと言うのだろうか?)がたくさんいるのも心強い。
余裕が出るとまわりを見る余裕も出てくる。左手には、海が見える。きれいだ。
給水所の人たちは、みんなボランティアとのこと。これだけたくさんの人が、選手の一人
一人に水を渡したり、捨てていった紙コップを集めたり、きっと他にも多数の人が裏方と
して援助してくれているのだろう。沿道の人も暖かい言葉(英語は、良くわからないが、
そんな雰囲気がする)をかけてくれる。照れ屋の私は声に出すまではしないが、心の中で
お礼の言葉を言う「アロ〜〜〜ハ!」
スタートから5時間頃(10:00) 35KM通過。
やっとカラニアナオレハイウェイを出た。太陽も出てきたが、風のせいか暑くは感じない。
30KM付近から「10分走って10分歩く」ペースは、しばらく守ることは出来た。しかし
今度は、腹が減ってきた。
周りのランナーが腰のポシェットから、カロリーメイト出して食べ始めた。うまそうだ。
そうかポシェットの中身は使い捨てカメラだけではなく食い物もあったのか!くやしい。
しかし、そんな事を思っていると沿道の住民が、ビスケットやポテトチップの差し入れを
くれるではないか。いただいた。おいしい。うれしい。本当にうれしい。ハワイの人は本
当に本当に親切だ。
スタートから5時間30分(10:30)。
仮設トイレに入り小さい方をしたが、あまり出ない。「あれだけ給水をとったのに、結構、
汗で出ているんだ」と思う。
足の裏(土踏まず)が痛くなってきた。しかし、それ以上にスタミナ切れで歩くのも辛く
なってきた。踏ん張って歩く(走るのでは無い)。ダイヤモンドヘッドの戻りの上り坂に
入るといよいよ辛い。でもあと少しだ、自分自身に「がんばれ・がんばれ」まわりのみん
なも「がんばれ・がんばれ」。ここまできたら完走あるのみ。順位も時間もどうでもいい。
しかし、スタート前に「こんなふざけた格好で走るなんてけしからん!」と思っていた、
トナカイ着ぐるみを着たやつに抜かれたのは、情けない。
(天使の羽根をつけたやつには、抜きつ抜かれつをスタートから繰り返していたが、ここ
で引き離された。情けない。)
10:30 再びテント
公園内をうろうろしながらテントに戻る。戻って、自分の麦藁帽子がないことに気づく。
お気に入りの青い帽子。もう一度来た道をたどってみるが落ちていない。誰かに拾われ、
持っていかれてしまったんだ。悲しい。
11時近くに大知にお昼を食べさせる。もらったバナナとおにぎり。自分も食べる。そうだ、
T君が遅くに帰ってきて食べ物が無くなっていたらかわいそうだから、もう一パック
もらっておこう。私の頭の中には、目標タイムを大幅に過ぎてゴールする姿しか浮かばない。
大知のオムツを替えしばらく座っていると、テントの中が混雑してきた。走り終えたランナーが
疲れた体を休めている。ゴザも相席だ。走っていない自分が堂々と座っていては申し訳ない
ような気がする。大知は又ぐずり出す。
スタートから6時間(11:00)40KM通過。
上りが終わった。35KM〜40KMは、ほとんど歩きだった。足の裏はあいかわらず痛い。
会社でやっているバレーの応援団用に配られた3000円の靴では無理があったのだろう
か。しかし、これからは下り。ゴールは目前だ。痛い足を引きずって、再び走り始めた。
スタートから6時間10分過ぎ(11:10) ゴールまであと1KM。
下り坂も終わり、カピオラニ公園に入る。ゴールの看板も見えてきた。走り終わってダウ
ン(整理運動)をしている人がいる。私は心の中で叫ぶ「その余った体力を俺にくれ!」
スタートから6時間18分18秒(11時18分18秒) 感動のゴール!
最後の直線。最後ぐらいは走ろうとがんばる。沿道に応援者がたくさんいる。「かみさん
と大知がいないか」ときょろきょろするがいない。「この感動のゴールをウォッチしない
なんて何をしているんだろう。」と思う。ゴールの看板が見えた。「スマイル」と書いて
ある。余裕はないが、笑う。まてよ、これはカメラマン用のアーチだった。ゴールは、100M
位先。この100Mは長かった。一度ゴールだと思って気を抜きかかったが再び頑張る。
そして両手を挙げて歓喜のゴール。最後の走りで50人は抜いた。
ゴールから10分(11:20)
ゴールすると、大会係員の人がゼッケンについていたバーコードをとる。これで順位や時
間をとるのだろうか?アバウトである。(実は、わたしは、ゴールした瞬間、感激で腕時
計を見るのを忘れており、6時間18分18秒のタイムは、後日知った)
すこし歩くと、ハワイの民族衣装を着た女性が、貝でつくったレイを首にかけてくれる。
ゴールしたランナーには全員くれるようだ。うれしい。金メダルをかけてもらったような
気持ちになる。しかし、この人たちも2万人以上の人に笑顔でこんな作業をするとは、た
いしたもんだ。アローハ!
もうしばらく進むと、今度はドリンクコーナーがあった。コーラやその他ジュースが好き
なだけ飲めるようだ。わたしは、コーラをごちになりながら、かみさんとの待ち合わせ場
所のJ社(旅行代理店)テントを探した。しかし、この作業は、42.195KM走ってきた
(歩いてきた)わたしにとっては、非常につらいものだった。すごい数のテントである。
(実は事前に渡されたパンフレットの中にはテントの位置は書いてあったが、わたしは
しっかり見ていなかった。見ていたのは、スタート前・走っている最中の注意事項ばかり
である)雨も降ってきた。ふらふらになりながら歩いているとJ社(旅行代理店)の幟を
もったおにいちゃんがいたので、さっそくテントの場所を聞いてみた。「幟に沿って歩いて
行って下さい」とのことである。雨の中を足を引きずりながらとぼとぼ向かった。
11:20 ゴールを待つ
T君がゴールするにはまだ早いと思いながらも、テントを出る。ベビーカーに乗せて
歩いても大知の機嫌は直らない。
先程とは別の、ゴール地点を過ぎたすぐ脇で応援することにする。ここなら、T君が
私たちに気づくかもしれない。時間とともに応援者も減ってきた。スタートから6時間半。
ゴールのピークは過ぎた感じだ。ランナー一人一人の顔を見る。でも減ったとはいえ、次
から次へと走ってくる人の顔を見るのは容易ではない。ぐずる大知をあやしていると5〜
8人は見過ごす。この間にT君が通り過ぎてしまったらどうしよう。
大知の機嫌が最高潮に悪くなる。周りの応援者も泣き声が気になるようだ。しかたない、
抱っこだ。リュックからだっこ紐を出し、泣きぐずる大知に紐を通す。抱いてもしばらく
は泣いている。あやしながら他の応援者より2、3歩下がってゴールへ目をやる。
来ない。12時になった。やっぱり時間通りには走れないんだ。
ザーーーッ。雨が降ってきた。公園へ着いてから3回目。降っては止み太陽が顔を出す。
1回目はテントへ雨宿りしたが、ここからではテントは遠い。雨が止むのを濡れながら待つ。
とはいえ、止んでしまえば服もあっという間に乾くのだ。ハワイは湿度が低いのでほんとに
過ごしやすい。それでも大知が濡れないようにタオルをかける。こんなとき帽子があればと、
無くしたのが悔やまれる。
肩と背中がだるくなってきた。やっと寝た大知だが、抱いているのに耐えられなくなり、
ベビーカーへ寝かせようと大知を降ろす。でも、起きてしまった。ワーワー泣く。
おしりが臭いのに気づく。泣きやむのを待つのは諦め、雨に濡れた芝の上に大知を寝かせ、
オムツを替える。体を反らせて泣くのでオムツをあてるのも、服のボタンを止めるのも苦労
する。まだ泣いている。「ごめんごめん。降ろしたお母さんが悪かった。さあゆっくり寝て
いいよ」自分も泣きたい気分になりながら、再び大知を抱っこ紐で抱く。
あやしながらゴールを見る。T君はもう通り過ぎてしまったかもしれない。12時半を
過ぎた。でも、次に来るかもしれないと思うと、その場を立ち去れない。よし、1時まで待とう。
1時になったらテントへ戻ろう。ようやく寝た大知の重さに耐えながら、ひたすらT君を
待っていた。
ゴールから20分(11:30)
J社(旅行代理店)のテントは大きく、これがまたすごい人である。「この中で、かみさん
と大知を見つけるのは大変だな」と思いながら、痛い足を引きずり歩いて探す。無料マサ
ージサービスもあったが、「早く探したい」という思いでやめた。(本当は、すごい列で、
マサージ受けるまでに倒れてしまうのではないかと思われた。マサージを本当に受けさせ
た方がいいのは、並ぶことの出来ない人たちである)
おや、みんな同じアイスクリームやおにぎりを食べている。食べている人に聞くとJ社(旅
行代理店)のツアー参加者は無料でもらえるらしい。さっそくもらい、スタートしてから
はじめて座りアイスクリームを食べた。この時、ゴール出来たことに対する喜びがはじめ
て湧いてきた。
すこし休んで、またまた痛い足を引きずりながら、今度はスタート前に預けた衣類とフィ
ニッシュTシャツを取りに行った。無料で配っているリンゴにも並んだが、わたしのすこ
し前で無くなった………。
テントに戻り、着替える時はじめて気づいたことがある。乳首がTシャツとすれて、すり
傷になっている。そういえば事前にこのことは聞いていたが、対策は「乳首に絆創膏を貼
る」と聞き、絆創膏をはがした時、ひっぱられ抜けるかもしれないパイ毛のこと(痛さ)
を考えやめていたのだ。う〜ん、どっちもこっちも痛い。足はそんなことも忘れさせるほ
ど最高に痛い。
ゴールから40分(12:00)
足を引きずりながら呼び出し放送の列に並んだ。並ぶのはつらいが、待ち合わせ時間に
なっても、かみさんと大知は見つからないのでしょうがない。
放送で呼び出した人と呼び出された人が、再会を喜びあっている。しかし、かみさんはあ
らわれない。
ゴールから1時間10分(12:30)
再度、痛い足を引きずりながら並び、呼び出し放送を依頼。居ない。こない。何をしてい
るのか。
ゴールから1時間40分(12:50)
もう怒りを乗り越え悲しい気持ちになってきた。
3度目の呼び出しを行い、13:00まで待って、だめだったら自分一人でホテルへ帰ろ
うと思った。もちろん私ではないE.Aさんが出る表彰式も見たいが、もう限界である。
ベットで寝たい。疲れた体をいやしたい。
そして帰ろうと思った瞬間、かみさんがあらわれた。
13:00 再会
T君に会えないまま、重い大知を抱えテントに戻る。気分はどん底でテントの前に来ると、
そこにT君はいた。
T君は11:30にテントに戻っていたのだ。なんてこと!!予想タイムより40分も早く
ゴールするなんて。その上、擦れ違いで出会えなかったんだ。あーあ、あの最悪の1時間半
は何だったんだろう。
T君は疲れた体で私たちを待っていた。T君にとっても落ち着かない1時間半だったと
思う。でも、無事に完走できてよかったね。それも、6時間18分18秒という、目標を越える
タイムでゴールできてよかったね。
お互いの苦労話を交わしながら、3人揃ってホテルに向かうバスに乗った。
ゴールから1時間20分(13:10)
ホテル行きバスに乗る。バスの運転手はあいかわらず日本語が上手なおしゃべりな人で、
「今日は朝早くから大変だった」と言いながら、各ホテルの前でランナーやその応援者た
ちを降ろしていく。(俺も朝早くから大変だった………)われわれは、ホテルから少し離
れたところで近くのホテルの人たちと一緒に降ろされた。観光客の中を、いかにも「マラ
ソンやってきました」と感じで足を引きずりホテルに向かった。
やっとの思いでホテルの部屋につくと、ベットに倒れ込んだ。もう何も出来ない。
そして、今日一日のこと(朝の目覚まし、スタートで見た花火、ホノルル市内のイルミ
ネーション、苦しかった向かい風、沿道の人がくれたビスケットのおいしさ等々)、そし
てそして、完走出来た喜びに浸りながら、わたしは深い眠りについた。
…… 完 ……
【あとがき】
ホノルルマラソン&応援ツアーは、私にとって予想外に苦痛を伴うものだった。8時間
耐久レースに参加したようだった。「こんなはずじゃあない」と思ったことだらけたっだ。
親の勝手で連れ回した大知には、かわいそうなことをしたと思う。
でも、飛行機の座席やホテルのベットから転がり落ちても、日本から持っていったベビー
フードがなくなり、現地調達した食料だけでも良く食べ、良く寝、元気にしていてくれた大知
だったからこそ、この経験ができたんだと思う。
いつか3人で走れたらいいね。
平成9年3月 筆者代表 C.K
共 著 T.K
C.K
協 力 H社総務部の職場の皆さん